国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
上野国多胡郡正倉跡
ふりがな
:
こうずけのくにたごぐんしょうそうあと
上野国多胡郡正倉跡
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
奈良時代~平安時代
年代
:
西暦
:
面積
:
28637.86 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
17
特別区分
:
指定年月日
:
2020.03.10(令和2.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2021.10.11(令和3.10.11)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
群馬県
所在地(市区町村)
:
群馬県高崎市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
上野国多胡郡正倉跡
解説文:
詳細解説
和銅(わどう)4年(711)に建郡された,上野国多胡郡の田租(でんそ)や出挙(すいこ)で徴収した稲などを収納する倉庫群跡。特別史跡多胡碑(たごひ)の真南約350mに位置し,発掘調査によれば正倉の創建は8世紀前半である。律令国家の税の徴収や地方支配の在り方を考える上で重要。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
上野国多胡郡正倉跡
上野国多胡郡正倉跡(大型礎石建物)
写真一覧
上野国多胡郡正倉跡
写真一覧
上野国多胡郡正倉跡(大型礎石建物)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
和銅(わどう)4年(711)に建郡された,上野国多胡郡の田租(でんそ)や出挙(すいこ)で徴収した稲などを収納する倉庫群跡。特別史跡多胡碑(たごひ)の真南約350mに位置し,発掘調査によれば正倉の創建は8世紀前半である。律令国家の税の徴収や地方支配の在り方を考える上で重要。
詳細解説▶
詳細解説
和銅(わどう)4年(711)に建郡された上野国多胡郡における,田租(でんそ)や出挙(すいこ)で徴収した稲などを収納する倉庫群跡である。真北約350mには,多胡郡の建郡を記した我が国ただ一つの建郡碑である特別史跡多胡碑(たごひ)が建っている。正倉院の区画としては南北幅約210m,北辺の東西幅55m以上で,幅2~3mの溝で囲まれている。区画内からは礎石建物が2棟検出され,その他にも,礎石と思われる大型の石の分布や瓦の堆積などから,多くの建物があったことが推定される。このうち,北端で検出された礎石建物は,梁行(はりゆき)3間・桁行(けたゆき)7間の大型で,基壇付きの総瓦葺建物(そうかわらぶきたてもの)である。遺物としては,瓦,炭化米(たんかまい)のほか,先述の総瓦葺建物付近から壁土と思われる被熱粘土塊が出土しており,長元3年(1030)の『上野国交替実録帳(こうづけのくにこうたいじつろくちょう)』に記載のある土倉があったことを傍証する資料である。多胡郡の建郡に伴って新たに建てられた正倉跡であり,古代官衙の実態や律令国家の税の徴収,地方の支配の在り方を考える上で重要である。 令和3年 追加指定 上野国多胡郡正倉跡は、和銅4年(711)に建郡された上野国多胡郡における、田租や出挙で徴収した稲などを収納する倉庫群跡である。群馬県中央部を西から東に流れ、利根川に合流する鏑川によって形成された河岸段丘の南側上位面に立地し、その真北約350mの中位面には、多胡郡の建郡を記したわが国ただ一つの建郡碑である特別史跡多胡碑が建っている。 遺跡は、多胡碑から若干の谷をはさんだ南側の平坦地に位置し、正方位の規格性をもった区画溝が検出された。南北規模約210m、北辺の東西幅55m以上となる区画がある。溝で区画された中からは礎石建物が二棟検出され、その他にも、雨落溝のみ検出されたものや礎石と思われる大型の石の分布や瓦の堆積などから、多くの建物があったことが推定されている。また、特徴的な遺物としては、礎石建物付近から出土した壁土と思われる被熱粘土塊や、穎稲や穀稲と考えられる炭化米が挙げられる。このように、上野国多胡郡正倉跡は、全国にただ一つ存在する建郡碑である多胡碑と密接にかかわる遺跡であり、多胡郡の建郡に伴って新たに建てられた正倉跡であって、古代官衙の実態を知ることができることから、令和2年に史跡に指定された。 今回追加指定を行おうとするのは、正倉院西辺区画溝の一部、正倉院南辺区画溝の一部、正倉院中央部である。このうち、南辺における高崎市教育委員会による令和2年度の調査により、南辺区画溝の延長部が確認され、東西の幅が173m以上となった。また、中央部についても、同年度の調査により被熱粘土塊や炭化米が出土している。 よって、これらの条件の整った部分を史跡に追加指定し、保護を図ろうとするものである。