国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
午王山遺跡
ふりがな
:
ごぼうやまいせき
午王山遺跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
弥生時代後期
年代
:
西暦
:
面積
:
13425.24 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
17
特別区分
:
指定年月日
:
2020.03.10(令和2.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
埼玉県
所在地(市区町村)
:
埼玉県和光市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
午王山遺跡
解説文:
詳細解説
埼玉県東南部,荒川(あらかわ)を望む独立丘陵上に位置する弥生時代後期の大規模な環濠集落(かんごうしゅうらく)。150棟以上の竪穴建物(たてあなたてもの)と丘陵縁辺部に掘削された多重の環濠が検出された。北関東系や南関東系の複数の他地域の出土遺物が認められ,関東における弥生時代後期の地域間交流の実態を考える上で重要な集落遺跡。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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午王山遺跡
午王山遺跡(環濠と住居跡)
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午王山遺跡
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午王山遺跡(環濠と住居跡)
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解説文
埼玉県東南部,荒川(あらかわ)を望む独立丘陵上に位置する弥生時代後期の大規模な環濠集落(かんごうしゅうらく)。150棟以上の竪穴建物(たてあなたてもの)と丘陵縁辺部に掘削された多重の環濠が検出された。北関東系や南関東系の複数の他地域の出土遺物が認められ,関東における弥生時代後期の地域間交流の実態を考える上で重要な集落遺跡。
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詳細解説
武蔵野台地(むさしのだいち)の北東端部,荒川低地(あらかわていち)を望む標高24~25mの独立丘陵上に位置する弥生時代後期の環濠集落(かんごうしゅうらく)である。昭和53年から15回にわたる発掘調査が実施され,集落の構造が明らかとなった。竪穴建物(たてあなたてもの)は中期後半から後期の約150棟が検出され,時期により竪穴建物の平面形態に変遷を確認した。環濠は後期中葉前半に掘削され,後期中葉後半には埋没したと考えられる。ほぼ並行して二重に掘削されており,同時に機能したとみられる。方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)は,環濠外の南東部で5基検出されたが,埋葬施設や時期等は不明である。出土土器には,中期後半には南関東系,後期前葉には南関東系と北関東系とが共存し,後期中葉になると東海東部に系譜が求められる土器が主体となる。時期により異なる系統の土器が確認でき,関東では出土事例が少ない銅鐸形土製品(どうたくがたどせいひん)や帯状円環銅釧(おびじょうえんかんどうくしろ)が出土したことは,本遺跡が遠隔地との交流や往来があったことを示す。関東では類例の少ない弥生時代後期の同時性が確認できる多重環濠集落(たじゅうかんごうしゅうらく)の成立から廃絶までの過程が明らかとなった遺跡であり,荒川中流域と南北関東の地域間交流の接点として機能するなど,関東における弥生文化の交流の実態を知る上で重要な集落遺跡である。