国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
引田城跡
ふりがな
:
ひけたじょうあと
引田城跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
戦国時代
年代
:
西暦
:
面積
:
184041.62 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
17
特別区分
:
指定年月日
:
2020.03.10(令和2.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
香川県
所在地(市区町村)
:
香川県東かがわ市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
引田城跡
解説文:
詳細解説
瀬戸内海の交通の要衝地,国境付近という軍事・経済上の拠点に立地し,高松城(たかまつじょう),丸亀城(まるがめじょう)とともに生駒氏(いこまし)による領国支配の拠点として機能。慶長期の城郭が良好に保存されているだけでなく,豊臣系大名の経済・軍事政策や領国支配体制を知る上で重要。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
引田城跡
引田城跡(北二の丸の高石垣)
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引田城跡
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引田城跡(北二の丸の高石垣)
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解説文
瀬戸内海の交通の要衝地,国境付近という軍事・経済上の拠点に立地し,高松城(たかまつじょう),丸亀城(まるがめじょう)とともに生駒氏(いこまし)による領国支配の拠点として機能。慶長期の城郭が良好に保存されているだけでなく,豊臣系大名の経済・軍事政策や領国支配体制を知る上で重要。
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詳細解説
香川県の南東部,阿波との国境を画する阿讃山脈の北麓,引田港の北側にある岬状に突き出した城山に所在する城跡。長宗我部氏による讃岐侵攻の際には,重要な軍事拠点となったことが知られ,天正15年(1587)には生駒親正が入城したとされる。生駒氏は,その後,高松城,丸亀城を築き,引田城はこの二つの城とともに生駒氏による領国支配の拠点となり,寛永19年(1642)までには廃城されたと考えられる。城跡は,山頂付近の曲輪群,鞍部から山麓部の屋敷地・大手道・貯水池などの諸施設からなり,そのいずれもが良好な状態で残る。各曲輪は馬蹄形を呈する尾根頂部を巧みに利用し,大手道から突き当たった北二の丸・南二の丸を中心としてU字形に計画的に配置されている。また,各曲輪の石垣は野面積みを基調とし,総延長は約600mに及び,その形状や出土遺物からして,これらは慶長期(1596~1615)に整備されたことが分かる。慶長期の城郭が良好に保存されているだけでなく,瀬戸内海の交通の要衝地,国境付近という軍事,経済上の拠点に立地する生駒氏による領国支配の拠点の一つであり,豊臣系大名の経済・軍事政策や領国支配体制を知る上で重要である。