国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
能美古墳群
寺井山古墳群
和田山古墳群
末寺山古墳群
秋常山古墳群
西山古墳群
ふりがな
:
のみこふんぐん てらいやまこふんぐん わだやまこふんぐん まつじやまこふんぐん あきつねやまこふんぐん にしやまこふんぐん
能美古墳群(空撮)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳前期~後期
年代
:
西暦
:
面積
:
134942.05 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1975.03.18(昭和50.03.18)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2013.10.17(平成25.10.17)
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
石川県
所在地(市区町村)
:
能美市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
能美古墳群(空撮)
解説文:
詳細解説
和田山・末寺山古墳群
独立丘陵のうえに28基の古墳が現存する。古墳時代の前期から後期にわたって継続的に造営された古墳群で、方形周溝墓、前方後円墳、円墳、方墳と、各種の墳形を網羅する。内部主体は簡素な粘土床がおおく、北陸地方の特色を示す。
なお、和田山1・2号墳発掘の鈴鏡・鈴釧・馬具などは国が保有し、京都国立博物館の所蔵となっている。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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能美古墳群(空撮)
和田山・末寺山古墳群
和田山・末寺山古墳群
能美古墳群(西山古墳群と秋常山古墳群)
秋常山古墳群
秋常山古墳群
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能美古墳群(空撮)
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和田山・末寺山古墳群
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和田山・末寺山古墳群
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能美古墳群(西山古墳群と秋常山古墳群)
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秋常山古墳群
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秋常山古墳群
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解説文
和田山・末寺山古墳群 独立丘陵のうえに28基の古墳が現存する。古墳時代の前期から後期にわたって継続的に造営された古墳群で、方形周溝墓、前方後円墳、円墳、方墳と、各種の墳形を網羅する。内部主体は簡素な粘土床がおおく、北陸地方の特色を示す。 なお、和田山1・2号墳発掘の鈴鏡・鈴釧・馬具などは国が保有し、京都国立博物館の所蔵となっている。
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詳細解説
平成11年 秋常山古墳群 秋常山古墳群は,前方後円墳の1号墳と前方後方墳の2号墳の2基からなる古墳群である。古墳の所在する寺井町は,金沢市街から西南30hにあり,白山を水源とする石川県最大の河川である手取川が形成する扇状地上の平地の一画に位置する。扇頂部分から西方にかけて能美江沼丘陵がのびるが,古墳群は,この丘陵から遊離した独立小丘陵のひとつである秋常山に立地する。昭和59年に1号墳が発見されたことを契機に,平成4年から寺井町教育委員会が確認繭査を実施してきた。 1号墳は墳丘長約140mの前方後円墳であり,丘陵頭部を後門部とし,西南方向たのびる尾根筋に前方部をおく。復円部の直径は110m,高さ約20 あり、丘陵のほぼ全体を利用している。 前方部は開墾などによる変形が少なくないが,くびれ部の調査所見などをもとに,本来の墳丘をおおよそ推定することができ,全長に対して前方部が短い形態であると考えられる。3段築成であり,葺石は上段・中段の斜面に認められる。また下段の東側くびれ部には造出し状の張り出し部がある。埴輪は認められ ない。出土土器や墳丘形態から判断して,古墳時代前期末の築造と考えられる。 2号墳は,1号墳と裾を観して築かれた前方後方墳である。土取りにより後方部中央から前方部の南半そして前端部が失われている。調査箇所の制約から墳丘については十分に明らかになっていないが,墳長約80m程度であると推定される。2号墳からは埴輪片が出土しており,古墳時代中期前半の築造と推考される。 石川県内の前方後円墳ないし前方後方墳としては,加賀地域に約40基,能登地域に約50基が知られるが,そのなかで比較的規模の大きいものでも墳長50〜70m程度である。そのなかで,墳長140mの秋常山1号墳は,他を大きく引き離した石川県最大の古墳である。また,古墳時代前期後半から末という築造時期は,各地で大規模な前方後円墳が築造されるようになる。日本海側においても,丹後地域では墳長200mの網野銚子山古墳などが,越前地域においても墳長140mの六呂瀬山1号墳などが知られ,秋常山1号墳の出現も同じ歴史的背景によるものと考えられる。また,墳長和叫と推定される2号墳は,石川県内の前方後方墳として最大級である。 以上のように,秋常山古墳群は,石川県最大の前方後円墳である1号墳とこれに隠続する2号墳から構成され,加賀地域の古墳時代の解明にとって,また前期後半に認められる全国的な歴史的動向の背景を考える上で,欠くことのできないものである。 よって,史跡に指定し保存を図ろうとするものである。 平成25年 統合・追加指定・名称変更 石川県南部を流れる手取川の扇状地南端部の南北1キロメートル、東西2キロメートルの範囲に5つの独立丘陵が群在している。その丘陵上に多数の古墳が築造されており、現在でも前方後円墳2基、前方後方墳3基、円墳39基、方墳3基、墳形不明15基が確認できる。 このうち、中央部に位置する独立丘陵上に和田山・末寺山古墳群があり、34基の古墳が現存している。うち9基については寺井町(現・能美市)によって発掘調査が行われ、これらの古墳群が古墳時代前期前半から後期後半にかけて継続的に造営されたことが明らかとなった。さらに、これらが北陸を代表する古墳群として評価できることから、昭和50年1月に史跡に指定された。 また秋常山古墳群については、平成4年度から平成9年度にかけて寺井町教育委員会によって発掘調査が行われた。その結果、秋常山1号墳が墳長140メートルに達する古墳時代中期初頭の前方後円墳であることが明らかとなった。この墳丘規模は北陸地方でも最大級であることから、隣接する2号墳とともに、平成11年1月史跡に指定された。 今回追加指定しようとする寺井山古墳群は、最も西側の独立丘陵上に位置し、区画墓1基と円墳1基が確認されている。区画墓については2基の土坑墓が確認されており、鉄刀や鉄鏃などが出土し弥生時代終末期にまで遡る可能性が高い。円墳は直径20メートルで幅約1メートル程度の周濠が巡る。 また最も東側の独立丘陵上に位置する西山古墳群については、13基の円墳が現存している。平成19年度から22年度にかけて能美市教育委員会によって調査が行われた。いずれの円墳も直径15~20メートルで、埋葬施設については、一部に切石積みの横穴式石室が認められる。築造時期については、古墳時代後期前半から後半にかけてと想定される。 このように、これらの独立丘陵上において、弥生時代終末期の寺井山古墳群の築造開始を嚆矢とし、その後、古墳時代前期前半には和田山古墳群と末寺山古墳群において築造が開始され、中期初頭には秋常山古墳群が、後期には西山古墳群の築造が開始されるなど、継続的な古墳の造営が認められる。また、時期の変遷に応じて前方後方墳から前方後円墳へ、さらに小型の円墳へと墳丘の形状が移り変わっていく状況や、横穴式石室の導入状況、副葬品の種類の変遷など、古墳時代を通じた連続的な変化を詳細に追うことができる貴重な事例である。以上のことから、これら5つの古墳群は一体性を有した古墳群として評価することができる。 したがって、今回これら既指定の和田山・末寺山古墳群と秋常山古墳群を統合し、新たに寺井山古墳群と西山古墳群を追加指定することによって、「能美古墳群」として名称を変更し一体的に保護を図ろうとするものである。