国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
真脇遺跡
ふりがな
:
まわきいせき
真脇遺跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1989.01.09(平成1.01.09)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
石川県
所在地(市区町村)
:
鳳珠郡能登町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
真脇遺跡
解説文:
真脇遺跡は、奥能登の富山湾に面した内浦海岸東部の真脇に所在する。ここは三方を山に囲まれた海抜6~12メートルの沖積低地で、地すべりと鉄砲水による堆積作用で小さな平地が形成されている。遺跡は、現水田の地下深くに埋蔵され、中には現地表下4メートルに達する所もある。一方、内浦海岸は、四季おりおりに種々な魚がおとずれるため、中世以来日本有数の定置網漁場として著名な所であり、特に真脇では江戸時代から昭和初期までイルカ追入漁が盛んに行われていたという。昭和55年、真脇地区の圃場整備事業計画が策定されたことから、能都町教育委員会は事前の発掘調査を昭和56~59年に実施し、本遺跡が縄文時代の遺跡として全国屈指のものであることを明確にした。調査の結果、本遺跡の層序は24層に分かれ、その中で縄文時代の文化層は13層あり、これらは縄文時代前期前葉から晩期後葉の長期にわたるものであることが明らかとなった。
検出された遺構には、竪穴住居跡、炉跡、巨大木柱列、土壙、環状大溝など、前期から後期にわたる種々なものがあるが、なかでも学界の目を惹いたものは巨大木柱列である。巨大木柱列は、3基分が検出されているが、調査区の制約のため全体が検出されたのは1基にすぎない。いずれも平面形は円形で、使用された柱材は径50~100センチメートルの巨大なクリを半截したものであり、柱根弧面がすべて巨大木柱列の中心を向いている。平面形の規模は、直径7・5メートル、6・2メートル、5・3メートルとそれぞれ復原されている。これらの柱列は、出土した層位や伴出遺物から晩期に属するとされており、金沢市チカモリ遺跡で発見された例と同種のものと考えられる。なお、巨大木柱根は放射性炭素年代測定によって、2655±25年BPという値が与えられている。
遺物は、土器、石器を始めとする人口遺物や、イルカ骨に代表される自然遺物が、極めて大量に出土している。特に土器は、前期前葉から晩期後葉にいたる形式がほとんど途切れることなく層位的に、あるいは同一層内で地点を違え、しかも大量に出土しており、この点で他にあまり例をみない貴重な資料となっている。この他に土偶・仮面・円盤などの土製品、石鏃・石槍・石棒・御物石器などの石器類、鏃・装飾品などの骨角牙製品、彫刻柱・皿・櫂などの木製品、編物、縄といった多種多様な遺物が出土している。彫刻柱とした木製品は、長さ252センチメートル、最大径45センチメートルのクリ材の丸太に彫刻を施したもので、上半部に横溝を彫りこんで3段の隆帯を造り、下端部は丸くゆるやかに尖らせている。前期後葉の層から、大量のイルカ骨に埋もれた状況で出土している。
本遺跡の特徴の一つは、動物遺体や植物遺体が大量に出土することである。なかでもイルカ骨の出土量が多く、数100体に及んでいる。イルカ骨は第11・12文化層に集中的に廃棄されており、この2つの層はイルカ層ともよばれている。これらの時期は前期後葉から中期前葉にかけてである。また、イルカ骨の他にも魚類・哺乳類・鳥類などの動物遺体や自然木・種子・葉片などの植物遺体が、調査区全域にわたって出土している。
真脇遺跡は、以上のように縄文時代の前期から晩期にかけて、ほとんど途切れることなく存続しており、遺構には単なる住居跡だけでなく巨大木柱列のような珍しいものが検出されている。遺物の面からみても、北陸地方の縄文土器形式のほとんどが大量に出土しており、彫刻柱といった特殊な木製品も含まれている。また、イルカ骨を初めとする動植物遺体が大量に出土するなど、縄文人の生業を知る上で欠くことのできない重要な資料をも提供している。このような遺跡は、わが国の縄文時代遺跡群の中で比類のない貴重なものと考えられるので、本遺跡を史跡に指定して永くその保存を図ろうとするものである。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
真脇遺跡
真脇遺跡
真脇遺跡
真脇遺跡
真脇遺跡
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真脇遺跡
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真脇遺跡
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解説文
真脇遺跡は、奥能登の富山湾に面した内浦海岸東部の真脇に所在する。ここは三方を山に囲まれた海抜6~12メートルの沖積低地で、地すべりと鉄砲水による堆積作用で小さな平地が形成されている。遺跡は、現水田の地下深くに埋蔵され、中には現地表下4メートルに達する所もある。一方、内浦海岸は、四季おりおりに種々な魚がおとずれるため、中世以来日本有数の定置網漁場として著名な所であり、特に真脇では江戸時代から昭和初期までイルカ追入漁が盛んに行われていたという。昭和55年、真脇地区の圃場整備事業計画が策定されたことから、能都町教育委員会は事前の発掘調査を昭和56~59年に実施し、本遺跡が縄文時代の遺跡として全国屈指のものであることを明確にした。調査の結果、本遺跡の層序は24層に分かれ、その中で縄文時代の文化層は13層あり、これらは縄文時代前期前葉から晩期後葉の長期にわたるものであることが明らかとなった。 検出された遺構には、竪穴住居跡、炉跡、巨大木柱列、土壙、環状大溝など、前期から後期にわたる種々なものがあるが、なかでも学界の目を惹いたものは巨大木柱列である。巨大木柱列は、3基分が検出されているが、調査区の制約のため全体が検出されたのは1基にすぎない。いずれも平面形は円形で、使用された柱材は径50~100センチメートルの巨大なクリを半截したものであり、柱根弧面がすべて巨大木柱列の中心を向いている。平面形の規模は、直径7・5メートル、6・2メートル、5・3メートルとそれぞれ復原されている。これらの柱列は、出土した層位や伴出遺物から晩期に属するとされており、金沢市チカモリ遺跡で発見された例と同種のものと考えられる。なお、巨大木柱根は放射性炭素年代測定によって、2655±25年BPという値が与えられている。 遺物は、土器、石器を始めとする人口遺物や、イルカ骨に代表される自然遺物が、極めて大量に出土している。特に土器は、前期前葉から晩期後葉にいたる形式がほとんど途切れることなく層位的に、あるいは同一層内で地点を違え、しかも大量に出土しており、この点で他にあまり例をみない貴重な資料となっている。この他に土偶・仮面・円盤などの土製品、石鏃・石槍・石棒・御物石器などの石器類、鏃・装飾品などの骨角牙製品、彫刻柱・皿・櫂などの木製品、編物、縄といった多種多様な遺物が出土している。彫刻柱とした木製品は、長さ252センチメートル、最大径45センチメートルのクリ材の丸太に彫刻を施したもので、上半部に横溝を彫りこんで3段の隆帯を造り、下端部は丸くゆるやかに尖らせている。前期後葉の層から、大量のイルカ骨に埋もれた状況で出土している。 本遺跡の特徴の一つは、動物遺体や植物遺体が大量に出土することである。なかでもイルカ骨の出土量が多く、数100体に及んでいる。イルカ骨は第11・12文化層に集中的に廃棄されており、この2つの層はイルカ層ともよばれている。これらの時期は前期後葉から中期前葉にかけてである。また、イルカ骨の他にも魚類・哺乳類・鳥類などの動物遺体や自然木・種子・葉片などの植物遺体が、調査区全域にわたって出土している。 真脇遺跡は、以上のように縄文時代の前期から晩期にかけて、ほとんど途切れることなく存続しており、遺構には単なる住居跡だけでなく巨大木柱列のような珍しいものが検出されている。遺物の面からみても、北陸地方の縄文土器形式のほとんどが大量に出土しており、彫刻柱といった特殊な木製品も含まれている。また、イルカ骨を初めとする動植物遺体が大量に出土するなど、縄文人の生業を知る上で欠くことのできない重要な資料をも提供している。このような遺跡は、わが国の縄文時代遺跡群の中で比類のない貴重なものと考えられるので、本遺跡を史跡に指定して永くその保存を図ろうとするものである。