国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
加納城跡
ふりがな
:
かのうじょうあと
加納城跡全景1
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1983.10.28(昭和58.10.28)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
岐阜県
所在地(市区町村)
:
岐阜市加納丸の内
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
加納城跡全景1
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
加納城跡全景1
加納城跡全景2
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加納城跡全景1
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加納城跡全景2
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詳細解説
S51-6-017[[加納城]かのうじょう]跡.txt: 加納城は、文安2年(1445)に、美濃国守護土岐将益の執権斎藤利永が築いたのに始まる。その後斎藤氏は主に加納城にあったが、天文7年(1538)に斎藤氏本宗が断絶し、翌年斎藤氏の名跡を襲った長井利政(後の斎藤道三)が稲葉山城に本拠を移すに及んで、加納城は廃された。 慶長5年(1600)、関ヶ原戦に勝利をおさめた徳川家康は、西国への押さえとして、旧加納城地を大拡張して築城し、奥平信昌を封じた。城主は、奥平・大久保・松平と転々し、永井氏3万2千石の代に明治維新を迎えた。 城はいわゆる平城で、本丸・二の丸・三の丸・南の丸等から成り、東・南・西は河川を利用して外堀とし、総構えの大手門を丸の内の北に設けてあった。現在、二の丸以下はほぼ市街地となったが、東部に取出丸をつくって凸形を成す本丸と四囲の堀・石垣・土塁が良く遺存しており、近世平城の貴重な遺構となっている。