国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
中尊寺境内
ふりがな
:
ちゅうそんじけいだい
中尊寺境内 写真提供:平泉町教育委員会
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種別1
:
特別史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1979.05.22(昭和54.05.22)
特別指定年月日
:
1979.05.22(昭和54.05.22)
追加年月日
:
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県
:
岩手県
所在地(市区町村)
:
西磐井郡平泉町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
中尊寺境内 写真提供:平泉町教育委員会
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
中尊寺境内 写真提供:平泉町教育委員会
中尊寺境内
中尊寺境内 写真提供:平泉町教育委員会
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中尊寺境内 写真提供:平泉町教育委員会
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中尊寺境内
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中尊寺境内 写真提供:平泉町教育委員会
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詳細解説
藤原清衡は、後3年役後(1083〜)、陸奥・出羽両国における支配権をしだいに確立し、嘉保年間頃には本拠を平泉の地に移し、中尊寺の造立に着手、寺地を関山の地に卜して、大治元年(1126)にほぼ完成し、落慶供養が行なわれたといわれる。伽藍の造営は、清衡が大治3年に没して後も、2代基衡・3代秀衡の手によって続けられたと考えられる。 文治5年(1189)、4代泰衡が源頼朝に討たれてのち、中尊寺は保護者を失い、また、建武4年(1338)、野火のため、一山殆どが焼亡してわずかに金色堂と経蔵の一部が劫火を免れただけとなったが、今なお山内には、古代末期の文化史上逸することができない名品や貴重な中世文書が残っている。 中尊寺の堂塔の名・規模、安置の仏像等については、主として「吾妻鏡」の文治5年の記事や建武元年の中尊寺大衆訴状等によって、かなり子細を知ることができるが、その伽藍配置は必ずしも分明ではなかった。それを究明するため、平泉遺跡調査会(団長藤島亥治郎)が組織され、昭和34年から約10年間、山内各地の発掘調査が継続され、また、昭和51年には岩手県教育委員会による発掘調査が行なわれた。その結果、金色堂南東方の低地には、中島をもつ大池があり、大池の西方には古経蔵等があったこと、金色堂の北方、現弁天池の一帯には三重池があり、池の西方で金堂跡と思われる建物が検出され、また、経蔵・金色堂のある高地は今より狭かったこと、現大長寿院の北東方には二階大堂があり、その西方にも建物があったこと等が明らかになった。 古代末期における奥州藤原氏の東北地方の経営を考える上で欠かせない大きな意味をもつ中尊寺の歴史的意義にかんがみ、これを特別史跡に指定する。なお、この特別史跡には中尊寺の瓦を生産したと考えられる瓦窯跡(鈴沢瓦窯跡)も組み入れることとする。
関連情報
指定等後に行った措置
1979.05.22(昭和54.05.22)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
1979.05.22(昭和54.05.22)
異動種別1
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特別史跡
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
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