国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
和歌山藩主徳川家墓所
ふりがな
:
わかやまはんしゅとくがわけぼしょ
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
101
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
1981.05.28(昭和56.05.28)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
七.墳墓及び碑
所在都道府県
:
和歌山県
所在地(市区町村)
:
海南市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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詳細解説
和歌山藩主徳川家墓所 和歌山藩主徳川家の墓所は長保寺境内にある。長保寺は、寺伝によれば、性空を開山とし、長保2年(1001)に釿始し、寛仁元年(1017)、一応堂塔が整ったというが、正確な創建年時等は明らかでない。その後、伽藍地を東の現在地に移したといわれ、鎌倉末期に本堂(国宝)以下の堂塔が整って盛時を迎えたが、しだいに衰微した。 浅野幸長の死後、和歌山藩の封を嗣いだ浅野長晨が、元和5年、広島に移封され、かわって徳川家康の第十子頼宣が御三家の一として和歌山に入部した。頼宣は、寛文6年(1666)、長保寺を菩提寺と定め、天台宗葬をもって長保寺で質素な葬を営めといい残した。寛文11年正月に頼宣が死去すると、前藩主の墓地の造営工事が始められた。徳川宗家を嗣いだ5代藩主吉宗(8代将軍)と13代藩主慶福(14代将軍家茂)を除く歴代藩主の墓所も、悉く長保寺内に営まれた。 墓所は御霊屋の裏山に造営され、大門(国宝)より一般の参道とは別に墓所に通ずる玄武岩の御成道が造られている。御成道の途中には御成門があり、御〓(*1)門を入ると墓所が開ける。墓所内の墓の数は28基、うち12基が藩主の墓で、他は藩主室等のものである。初代頼宣の墓を中心に、地形に応じて歴代藩主等の墓が造られているが、いずれも山地を切り取った後に築かれた壮大な石垣を背にして墓標が立ち、墓標を石柱玉垣で囲み、墓標正面には石〓(*1)門を設け、石〓(*1)門の前面は参道になっている。玉垣の内部はすべて花崗岩で、石垣・参道等は玄武岩である。墓標の形状は、初代藩主頼宣のは無縫塔、6代藩主宗直・7代藩主宗将のは尖頭無縫塔、2代藩主光貞・3代藩主綱教・4代藩主頼職・9代藩主治貞のは尖頭方柱型、14代藩主茂承(明治39年没)のは方柱型、10代藩主治宝・11代藩主斉順・12代藩主斉彊のは笠石付八角柱型であるが、同型類の間にも微細な差異がある。6代藩主までの墓は無銘である。宝暦8年と明和2年に奥熊野郡尾鷲組梶賀浦と曽根浦の山から用石を割り出したことが判明しているが(前者は6代藩主宗直のものと思われ、後者は7代藩主宗将墓の普請石材)、その他の墓石材等の割出場所は不明である。なお墓所には、2基の供養塔と330基の石灯籠がある。 和歌山藩主徳川家墓所は、その規模といい、壮麗豪華なことといい、近世大名墓所の代表的なものであり、大名の墓制・葬制を知る上で重要である。