国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
広島城跡
ふりがな
:
ひろしまじょうあと
広島城跡遠景
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
19
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
1953.03.31(昭和28.03.31)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
広島県
所在地(市区町村)
:
広島市中区基町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
広島城跡遠景
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
広島城跡遠景
復元した建物(御門橋、表御門、平・多聞・太鼓櫓)
写真一覧
広島城跡遠景
写真一覧
復元した建物(御門橋、表御門、平・多聞・太鼓櫓)
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詳細解説
天正十七年毛利輝元は郡山城から移って初めてこの地に築城、文禄二年工を竣えたといわれる。関原役後、毛利氏転封の後を承けて、福島正則これを領して修築を行ったが、元和五年幕府の忌■に觸れて封を奪はれ、同年七月浅野長晟これに代って領した。爾来山陽道の鎭として重きをなし明治維新に至り廃城となった。 城は太田川河口の平地中に営まれ、本丸は南北に稍々長い矩形をなしている。これを守って堀をめぐらし、大手虎口を堅めて堀の内に狹少な二の丸が設けられ、この本丸、二の丸は更に三の丸惣構によって囲まれている。いま遺るところの旧経始は本丸と二の丸及びその堀であって、他は早く失はれているが、天守台を始め、石垣、虎口等旧規よく遺存し、殊に島岐状に設けられた二の丸はこの種の遺構が多く失はれている現在、築城史上貴重である。
関連情報
指定等後に行った措置
1953.03.31(昭和28.03.31)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
1953.03.31(昭和28.03.31)
異動種別1
:
史跡
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: