国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
観世音寺境内及び子院跡
附老司瓦窯跡
ふりがな
:
かんぜおんじけいだいおよびしいんあと
つけたりろうじかわらがまあと
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
275
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
1970.09.21(昭和45.09.21)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2015.10.07(平成27.10.07)
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡,六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
福岡県
所在地(市区町村)
:
太宰府市・福岡市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
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詳細解説
S42-1-014[[観世音寺]かんぜおんじ]境内および[[子院]しいん]跡(福岡県筑紫郡太宰府町).txt: 筑紫観世音寺は、天智天皇が斉明天皇のために誓願してつくられた寺である。草創の年時は不明であるが、7世紀後半に着工されたものと考えられる。しかし、伽藍の完成は容易でなく、養老7年(723)には僧[[満誓]まんせい]が造筑紫観世音寺別当となり、[[天平]てんぴょう]17年(745)には僧[[玄〓(*1)]げんぼう]が造営のため西下している。 観世音寺が完成したのは、天平17、18年(745、6)ころと思われるので、その完成までには、天智天皇以来実に80余年を費したことになる。天平宝字5年(761)には[[戒壇院]かいだんいん]がつくられ、東大寺・[[下野薬師寺]しもつけやくしじ]のそれとともに、日本三戒壇の一つに数えられている。[[延喜]えんぎ]5年(905)の「観世音寺資財帳」によれば、観世音寺には[[金堂]こんどう]・講堂・五重塔婆・中門・鐘樓・経蔵・燈樓・廻廊・南大門・築垣・戒壇院・菩薩院・僧房・客僧房のほか、多くの大衆院があり、九州随一の大寺であった偉観の様がしのばれる。平安中期から後期にかけて数回にわたって被災し、旧堂塔はことごとく失なわれ、11世紀後半から12世紀前半にかけて、この寺は東大寺の末寺となった。 現在の観世音寺にある建物はいずれも江戸時代のものであるが、金堂跡・講堂跡には礎石が残り、塔心礎も遺存している。礎石の状況より判断し、観世音寺は中門をはいると塔と金堂が東西に向かい合い、南北中軸線上に講堂がある伽藍配置であったと推定される。史跡指定に当たっては、治安元年(1021)の古文書にある寺領と、後世、子院四十九院が史料に見えることを勘案し、現観世音寺を中心とする平地と北方の山林等を指定範囲とした。
関連情報
指定等後に行った措置
2010.08.05(平成22.08.05)
2015.10.07(平成27.10.07)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2010.08.05(平成22.08.05)
異動種別1
:
名称変更
異動種別2
:
追加指定
異動種別3
:
異動内容
:
指定名称を「観世音寺境内および子院跡」から「観世音寺境内及び子院跡 附老司瓦窯跡」に変更。
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2015.10.07(平成27.10.07)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
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異動内容
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