国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
宇土城跡
ふりがな
:
うどじょうあと
宇土城跡1
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1979.03.12(昭和54.03.12)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
熊本県
所在地(市区町村)
:
宇土市神馬町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
宇土城跡1
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
宇土城跡1
宇土城跡2
宇土城跡3
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宇土城跡1
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宇土城跡3
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詳細解説
S52-06-023[[宇土城跡]うどじょうあと].txt: 宇土は、熊本県海岸部中央に突出する宇土半島の基部に位置し、古来肥後国の交通路の要衝になっていた。宇土城は、現在の市街地西南方にある独立丘陵に営まれた中世山城で、はじめ宇土庄地頭の宇土氏が居城とし、後に[[名和]なわ]氏が城主となった。 肥後名和氏は、南北朝時代の南朝方の武将[[名和長年]なわながとし]の後裔である。長年死後の正平年間に、孫の顕興が一族を挙げて八代庄に移り、以後、肥後南部において、相良氏ら有力豪族と拮抗していたが、顕忠の代の文亀4年(1504)に、八代の古麓城を相良氏のため陥され、益城郡木原城に移り、ついで宇土城に入った。以後天正15年(1587)、豊臣秀吉によるいわゆる「島津征伐」に際し、島津方であった名和氏が退転するまで、宇土城は同氏の居城であった。 城跡のある丘陵(西岡台)は、「三ノ城」及び「千畳敷」と呼ばれる2つの峰から成り、それぞれ頂部に平坦地があって、城の主要郭が置かれたものと思われる。事実、発掘調査によっても、中世の掘立柱建物跡が確認され、また、15〜6世紀の中国製陶磁器が出土している。 なお、天正16年(1588)小西行長が築いた宇土城(本史跡の東方平坦地に遺跡がある)の跡地は、本史跡に含まれない。