国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
岡城跡
ふりがな
:
おかじょうあと
指定地
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
513339.04 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1936.12.16(昭和11.12.16)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2018.02.13(平成30.02.13)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
大分県
所在地(市区町村)
:
竹田市大字竹田・会々
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
指定地
解説文:
詳細解説
南北朝時代以来の中世山城として、また近世では岡藩7万石の大名中川氏の居城として営まれた城跡。標高300m余の尾根状の丘陵地に本丸等が築かれた。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
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指定地
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解説文
南北朝時代以来の中世山城として、また近世では岡藩7万石の大名中川氏の居城として営まれた城跡。標高300m余の尾根状の丘陵地に本丸等が築かれた。
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詳細解説
岡城跡は、南北朝時代以来の中世山城として、また文禄3年(1594)以来の中川氏の居城である。城跡は、標高325mの尾根上の丘陵地に位置し、周囲は断崖絶壁をなし、南に白滝川、北側には稲葉川が流れ天然の堀を形成している。城の創建は明瞭ではないが、建武年間に大友氏一族の志賀氏が緒方氏の城を修築して本拠としたとされ、天正年間には志賀親次(ちかよし)が島津氏の来攻を受けるもこれを撃退した。大友氏の改易に伴い文禄3年(1594)に中川秀成(ひでしげ)が播磨から6万6千石で入封、後に加増され領地高7万4千石となり、中川氏の支配は13代に及んで明治維新に至った。 城の縄張りは、東から御廟、本丸、二の丸、三の丸、西の丸を配し、西側に大手門東方に下原(しもばる)門を配する。二の丸・三の丸の北側の高石垣は特に壮観である。西の丸には御殿や役所を配置し、その他家老等の重臣屋敷を置いた。廃藩置県後、建物は取り払われたが、石垣はじめ櫓や門の跡等の遺構が良好に残存しており、旧規模を知ることができることから、昭和11年に史跡に指定された。その後、平成15年には稲葉川右岸の丘陵山腹部分が追加指定されている。 平成21年、指定地北側を流れ天然の堀をなす稲葉川上流部と、同川右岸の丘陵斜面及び藩校由学館(ゆうがくかん)跡、同川左岸の藩倉七里蔵(しちりぐら)跡、それに武家屋敷跡を追加指定して、保護の万全を図ろうとするものである。 竹田町ノ東部ニアリ建武ノ末、志賀貞朝緒方氏ノ舊堡ヲ修メテ此處ニ據リ足利方ノ兵ヲ撃破セリ天正年間第十七代親次ノ時島津氏ノ來攻ヲ受ケ之ヲ撃退シテ功アリ文禄三年中川秀成受封ノ際城郭ノ規模ヲ擴大シ加藤清正ノ指示ニ依リテ本丸、二ノ丸、三ノ丸ヲ形成シ東向ヲ改メテ西向トナシ五代久清更ニ西ノ丸ヲ増築シ近戸門ヲ設ケ要害無比トセラル城ハ廢藩ノ際毀タレタルモ明治十年ノ役一時西郷方ノ根據地トナリ野津道貫ノ爲メニ平定セラレタリ城構ハ平山城ニ屬シ丘陵上ニ本丸、二ノ丸、三ノ丸ヲ築キ濠ヲ繞ラシタルモノニシテ城ノ石壁、櫓阯門阯等今猶存シ舊規模ヲ見ルニ足レリ
関連情報
指定等後に行った措置
2003.07.25(平成15.07.25)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2003.07.25(平成15.07.25)
異動種別1
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追加指定
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
: