国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
椿井大塚山古墳
ふりがな
:
つばいおおおつかやまこふん
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詳細解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
143
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2000.09.06(平成12.09.06)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
京都府
所在地(市区町村)
:
木津川市山城町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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詳細解説
椿井大塚山古墳は古墳時代前期の前方後円墳である。現在のJR奈良線が明治27年に敷設された際に後円部が分断され,その後,後円部の墳丘が露呈する法面の改良工事が昭和28年に行われた際に竪穴式石室が現れ,多量の三角縁神獣鏡や鉄製武器類などが取り出されるに及び,古墳時代史上きわめて重要な位置を占める前期古墳として一躍著名な存在となった。この時の京都大学による発掘調査の後,昭和46年の近藤義郎らによる墳丘調査を経て,平成7〜10年度にかけて山城町教育委員会が範囲確認調査を実施し,古墳の概要が判明した。 椿井大塚山古墳は,南山城を貫流する木津川が,東の伊賀から山城に抜けて北へと流れを転ずる付近に位置する。西へ伸びる丘陵尾根の先端に立地し,墳頂からは木津川及び南山城の平野を広く見渡すことができる。 前方部を西に向けた前方後円墳で,線路より東側の後円部は本来の姿をよくとどめているが,前方部は大きく削平され,その部分には家屋が建つ。発掘調査の結果,後円部は4段築成であることが判明し,改変が大きい前方部にも葺石やテラス面が一部遺存していることが確認された。前方部の平面形は,前方部前端を反映していると思われる道路の形状などから,これまでの推定に大きな誤りはないと考えられる。墳丘規模は,後円径約110m,高さ約20m,全長約175mと推定できる。 後円部には大規模な墓坑を掘り込み,そこに長大な南北方向の竪穴式石室が構築されていた。石室規模は,内法で長さ6.8m,幅1.1〜1.0m,高さは北壁部で約3m。主に花崗岩の角礫で壁体を構築し,天井石8枚を架し粘土で被覆していた。粘土棺床の大部分は工事の際に荒らされていたが,一部の副葬品は持ち出されずに残っていた。三角縁神獣鏡は,鏡面を外にして石室の壁に沿って立て掛けられていた。 出土遺物には,内行花文鏡2面,方格規矩鏡1面,画文帯神獣鏡1面,三角縁神獣鏡33面以上,素環頭大刀1を含む鉄刀7点以上,鉄剣・鉄槍約10点,鉄鏃200点以上,銅鏃16点以上,小札革綴冑1点,鉄鎌3点,斧10点,刀子17,釶7点以上,鑿16点,銛10点以上,ヤス3点,釣針1点のほか,短甲と考えられる鉄板などがある。 三角縁神獣鏡はすべて「舶載鏡」とされるもので,その後,この鏡が大和政権から各地に配布されたとする「同笵鏡論」をはじめ,小林行雄が古墳時代論を展開する上での重要資料となり,また大塚山古墳は最古の前方後円墳のひとつとされることになった。 以上のように,椿井大塚山古墳は,古墳研究史上きわめて重要であるとともに,古墳の規模および副葬品の豊かさの点でも今なお群を抜くものである。その歴史的意義はきわめて大きく,古墳時代社会を考える上で欠くことのできない古墳である。よって史跡に指定し保護を図るものである。