国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
伊勢国府跡
ふりがな
:
いせこくふあと
伊勢国府跡
写真一覧▶
地図表示▶
詳細解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
75349.37 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2002.03.19(平成14.03.19)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2017.10.13(平成29.10.13)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
三重県
所在地(市区町村)
:
鈴鹿市広瀬町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
伊勢国府跡
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
伊勢国府跡
伊勢国府跡
写真一覧
伊勢国府跡
写真一覧
伊勢国府跡
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
詳細解説
三重県北部を流れる鈴鹿川南岸の台地上南辺,標高約50mに立地する古代の国府跡である。従来,この周辺は長者屋敷遺跡と呼称され,東西約600m,南北約800mの範囲に古瓦が大量に散布していることが知られていた。平成4年度から鈴鹿市教育委員会が発掘調査を行ったところ,国庁と国司館などと推定される関連施設2箇所が確認された。遺跡南辺の通称矢下地区に国府の中心施設である国庁が所在し,その北側約200mの通称長塚地区と,さらにその東側約300mの通称南野地区に関連施設が所在する。 国庁は東西約80m,南北約110mの築地の区画のなかに,正殿と後殿が前後に並び,正殿の東西に南北棟の脇殿が配置される。正殿と後殿・脇殿は軒廊でつながる。建物はすべて礎石建ち,瓦葺きであり,それぞれ基壇を備えている。基壇は現存高約1mで、礎石の一部は地表面に見えており,全体の遺存状況はきわめて良好である。正殿は桁行5間・梁間3間の身舎に4面廂をもつ。南面築地の中央には南門が取り付き,築地の両側には溝が伴う。国庁の配置・構造は近江と類似する。国庁の西側には国庁と同じ規模の築地の区画があり,大型の四面廂付き建物が配置される。二つの築地区画の北東側にも大型の掘立柱建物がいくつか分布する。 国庁北側の長塚地区には,東西棟の大型建物の基壇が南北に2基並び,その西側に南北棟建物が配置される。この南北棟建物の雨落ち溝から屋根瓦が葺かれた状況で出土している。南野地区には,両面廂をもつ南北棟建物の基壇が残っており,その東にさらに基壇1基が確認できる。基壇の西側には土塁状の高まりがあり,区画施設と推定される。また,国庁の周辺から北側には,道路と溝による120m単位の方格地割が東西5列,南北6列が復元されており,他の国府では明確ではない都城の条坊制に類似した土地区画の存在が注目される。 この遺跡の年代は出土する瓦や土器からみて奈良時代中頃から平安時代初期と考えられ,その後他の場所に移転されたものと推定される。このように伊勢国府跡は国庁と関連施設2箇所が明らかになっているなど国府全体の様相がかなり判明しており,きわめて貴重である。よって国庁と関連施設2箇所について史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。 三重県北部を流れる鈴鹿川南岸の台地上南辺,標高約50mに立地する古代の国府跡である。従来,この周辺は長者屋敷遺跡と呼称され,東西約600m,南北約800mの範囲に古瓦が大量に散布していることが知られていた。平成4年度から鈴鹿市教育委員会が発掘調査を行ったところ,国庁と国司館などと推定される関連施設2箇所が確認された。遺跡南辺の通称矢下地区に国府の中心施設である国庁が所在し,その北側約200mの通称長塚地区と,さらにその東側約300mの通称南野地区に関連施設が所在する。 国庁は東西約80m,南北約110mの築地の区画のなかに,正殿と後殿が前後に並び,正殿の東西に南北棟の脇殿が配置される。正殿と後殿・脇殿は軒廊でつながる。建物はすべて礎石立ち,瓦葺きであり,それぞれ基壇を備えている。基壇は現存高約1mで、礎石の一部は地表面に見えており,全体の遺存状況はきわめて良好である。正殿は桁行5間・梁間3間の身舎に4面の廂をもち、南面築地の中央には南門が取り付き,築地の両側には溝が伴う。国庁の配置・構造は近江と類似する。国庁の西側には国庁と同じ規模の築地の区画があり,大型の四面廂付き建物が配置される。二つの築地区画の北東側にも大型の掘立柱建物がいくつか分布する。 国庁北側の長塚地区には,東西棟の大型建物に伴う基壇が南北に2基併置され,その西側に東西棟建物が配置される。この東西棟建物の雨落ち溝から屋根瓦が葺かれた状況で出土している。南野地区には,両面廂をもつ南北棟建物の基壇が残っており,その東にさらに基壇1基が確認できる。。基壇の西側には土塁状の高まりがあり,区画施設と推定される。また,国庁の周辺から北側には,道路と溝による120m単位の方格地割が東西5列,南北6列が復元されており,他の国府では明確ではない都城の条坊制に類似した土地区画の存在が注目される。 この遺跡の年代は出土する瓦や土器からみて奈良時代中頃から平安時代初期と考えられ,その後他の場所に移転されたものと推定される。このように伊勢国府跡は国庁と関連施設2カ所が明らかになっているなど国府全体の様相がかなり判明しており,きわめて貴重である。よって国庁と関連施設2箇所について史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。