国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
豊前街道
南関御茶屋跡
腹切坂
ふりがな
:
ぶぜんかいどうなんかんおちゃやあと
2 中程より腹切坂の上方を望む
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2003.08.27(平成15.08.27)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2005.03.02(平成17.03.02)
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
熊本県
所在地(市区町村)
:
玉名郡南関町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
2 中程より腹切坂の上方を望む
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
2 中程より腹切坂の上方を望む
南関御茶屋跡(北東から)
南関御茶屋跡(東から)
南関御茶屋跡(南から)
南関御茶屋跡(御居間)
1 標柱・案内板
3 中程より腹切坂の下方を望む
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2 中程より腹切坂の上方を望む
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南関御茶屋跡(北東から)
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南関御茶屋跡(東から)
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南関御茶屋跡(南から)
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南関御茶屋跡(御居間)
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1 標柱・案内板
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3 中程より腹切坂の下方を望む
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詳細解説
南関御茶屋跡は、熊本県北部、福岡県に接する南関町の中心部に所在する豊前街道沿いの藩主等の休憩・宿泊施設跡である。 南関町は、古代には官道が通り、大水駅が置かれ、併せて国境警備のための関が設けられていたとされる場所であり、交通の要衝として発展した地域である。関所は、その後も機能し、現在の地名に通じる「ミナミノセキ」という地名が定着したとされる。近世においても道は、豊前街道として利用されており、特に江戸時代後半は参勤交代の道として利用されることが多くなった。 南関は、肥後藩主等の参勤交代の際に利用された肥後国内における最終の休憩・宿泊地点であり、そのための施設として御茶屋が設置されることになったものである。寛永17年(1640)の記録では、御茶屋の建替工事が長期にわたっていることが見えることから、江戸初期から施設の整備が行われていたことがわかる。 現在の御茶屋跡の建物は、嘉永3年(1850)に起工して、同5年に竣工したもので、『南関御茶屋新規建て方見積り』(瀬上文書)によると、改修理由はそれまでの建物が古く、狭いもので、間取りが悪いものであったためとしている。建替工事に携わった人々や工事の内容、各村々からの出夫の人数などは『町在』(永青文庫)や『木下助之日記』(木下文庫)によって把握できる。 現在残っている建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、三の間と配されている。御居間の改修、玄関棟の欠損はあるが、建物全体としては往時の御茶屋の姿をよく残しているものである。屋根には、細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれ、建物の北側に小規模な庭園も造られている。 この御茶屋は、御客屋とも呼ばれ、資料には両方とも記載されているが、一般的には御茶屋と通称されていたものと考えられている。 このように近世の街道沿いの御茶屋跡が現存し、往時の建物構造を残していることは、我が国近世の交通史を考える上で貴重で、現在整備が進められている豊前街道と一体的に保存すべき物件であり、建物の保存の緊急性から先行して史跡指定を行い、保護を図ろうとするものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2005.03.02(平成17.03.02)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2005.03.02(平成17.03.02)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
名称変更
異動種別3
:
異動内容
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