国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
菊川城館遺跡群
高田大屋敷遺跡
横地氏城館跡
ふりがな
:
きくがわじょうかんいせきぐん
たかだおおやしきいせきあと
よこちしじょうかんあと
横地城館跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
142
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2004.09.30(平成16.09.30)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2009.02.12(平成21.02.12)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
静岡県
所在地(市区町村)
:
菊川市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
横地城館跡
解説文:
詳細解説
静岡県南西部の小地頭領主、下郷内田氏の方形居館跡と、有力武士、横地氏の本拠地の居館・寺院・山城跡等からなる中世遺跡群で、東遠江地方、菊川流域の中世武士の存在形態を示す遺跡群として貴重である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
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横地城館跡
横地城館跡
横地城館跡
高田大屋敷遺跡
高田大屋敷遺跡
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横地城館跡
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横地城館跡
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高田大屋敷遺跡
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高田大屋敷遺跡
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解説文
静岡県南西部の小地頭領主、下郷内田氏の方形居館跡と、有力武士、横地氏の本拠地の居館・寺院・山城跡等からなる中世遺跡群で、東遠江地方、菊川流域の中世武士の存在形態を示す遺跡群として貴重である。
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詳細解説
菊川城館遺跡群は、静岡県の南西部に位置し、菊川流域の高田大屋敷遺跡と横地氏城館跡からなる。菊川町南部には、平安末期から鎌倉時代にかけて、内田荘の下郷内田氏と横地氏とが並存していた。内田荘下郷はほぼ大字下内田に相当し、下郷内田氏は工藤氏庶流の小御家人であった。下郷内田氏は、承久の乱の功績によって石見国に地頭職を得て14世紀に本拠を移した。横地氏は保元の乱に源義朝に従った有力武士である。源平の内乱期は頼朝に従い、鎌倉幕府成立後は有力御家人として鎌倉を中心に活動したことが『吾妻鏡』に散見する。南北朝期には足利方に属して菊川流域一帯を領し、のちに室町将軍家の奉公衆として京都を中心に活動した。15世紀中頃から活動拠点を東遠江の横地に移したが、15世紀後半に勢力を遠江に伸ばした今川氏によって、文明8年(1476)に滅ぼされた。 高田大屋敷遺跡は、下郷内田氏の本拠地に比定され、菊川と上小笠川の合流点付近、標高約11mの微高地に占地する。西隣には信州へ塩等を運んだ秋葉街道が通る。高田大屋敷遺跡は、昭和63年度から平成5年度にかけて、菊川町教育委員会が県営圃場整備事業に伴う発掘調査を実施し、菊川町は調査成果を踏まえて保存を決定して施工区域から除外した。東西約70m、南北約93mの土塁に囲まれ、南側から西側は旧河川と湿地を利用した堀跡が巡り、北側から東側は上小笠川の流路に囲まれた方形居館跡である。西側に続く古川神社境内地は外郭跡と推定される。北側土塁は洪水防止の堤防を兼ねており、出土遺物から中世前期に構築されたと考えられる。東、西、南側の土塁は後世の削平、撹乱が著しく、築造時期を推定することが難しい。中世の出土遺物は15、16世紀にも一定のまとまりを示し、下郷内田氏以降も何らかの施設が営まれたと考えられる。 横地氏城館跡は、高田大屋敷遺跡の東約3km、牧の原台地の南西端に位置する。菊川水系の小河川沿いの谷部と丘陵部に営まれた、横地氏本拠地の中世遺跡群である。菊川町教育委員会が昭和62年度から平成15年度に発掘調査及び民俗学、城郭史、石造物等の総合調査を実施した。五郎兵衛地区、殿ヶ谷地区、中上地区、大上地区、横地城跡の5地区に分かれ、東西約2km、南北約0.6kmの範囲に及ぶ。
関連情報
指定等後に行った措置
2009.02.12(平成21.02.12)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2009.02.12(平成21.02.12)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: