国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
荒屋遺跡
ふりがな
:
あらやいせき
荒屋遺跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2004.02.27(平成16.02.27)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
新潟県
所在地(市区町村)
:
北魚沼郡川口町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
荒屋遺跡
解説文:
荒屋遺跡は、信濃川と魚野川の合流点を望む段丘上に位置する。この合流点付近には、数段の河岸段丘が形成されているが、遺跡が所在する段丘面は更新世の最も新しい時期に形成されたとされる。魚野川との比高は25mである。遺跡は、段丘の北端にあり、遺跡の北、東は段丘崖となっている。昭和32年に発見され、翌年に明治大学による第1次調査、昭和63年・平成元年に川口町教育委員会及び東北大学による第2次・第3次調査が行われた。さらに、平成13年には、川口町教育委員会が遺跡の範囲確認を目的として、第4次調査を行った。
以上の調査で、遺跡の範囲は東西約100m、南北約50mであることが確認されるとともに、約10万点という極めて多数の石器が集中出土地点をもって出土した。これらには、細石刃、湧別技法による楔形細石刃核、幌加技法による舟底形細石刃核、彫刻刀形石器(彫器)、スクレイパー類などが多数含まれ、後期旧石器時代終末の細石刃文化期の典型的な石器群の様相を示している。特に、多量に出土している彫刻刀形石器の多くは、素材剥片の全周に調整剥離を加えた後に、先端部の左肩に1条ないし数条の樋状剥離を施して彫刻刀面を作り出すもので、基部腹面に入念な調整を施したものも多いなど、極めて特徴的な形状を示すことから、本遺跡の名前をとって荒屋型と型式設定された。さらに、石器製作過程や使用過程で作出される砕片類や削片類が多数出土し、接合資料も見られることから、本遺跡は、石器製作とそれらを利用しての道具製作とその使用を行った拠点的な遺跡と見ることができる。第1次調査で採取された木炭の放射性炭素年代測定値は、13,200±350年B.P.である。
本遺跡で確認された荒屋型彫刻刀形石器と楔形細石刃核の組合せは、当該期の北東アジアの旧石器文化研究上で重要な指標となっている。この組合せをもつ石器群が約2万年前までにバイカル湖周辺地域で成立した後、後期旧石器時代の末期から新石器時代初頭に、中国北半部、朝鮮半島、日本列島、カムチャッカ半島、そして、アラスカにまで拡散する状況が把握できる。こうした石器群の拡散の状況を寒冷環境に適応した北方モンゴロイド集団の動きと結びつけて考える学説も提示されている。また、本遺跡同様、荒屋型彫刻刀形石器と湧別技法をもつ石器群が、日本列島では東北日本を中心に分布するが、これらを保持する集団が北海道経由で東北日本に拡散することを想定する説もある。
このように、荒屋遺跡は、細石刃文化とりわけ北方系細石刃文化について日本を代表する遺跡であり、旧石器時代末期における人類集団の拡散を如実に示すとともに、学史上、極めて重要な遺跡であることから、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
荒屋遺跡
写真一覧
荒屋遺跡
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解説文
荒屋遺跡は、信濃川と魚野川の合流点を望む段丘上に位置する。この合流点付近には、数段の河岸段丘が形成されているが、遺跡が所在する段丘面は更新世の最も新しい時期に形成されたとされる。魚野川との比高は25mである。遺跡は、段丘の北端にあり、遺跡の北、東は段丘崖となっている。昭和32年に発見され、翌年に明治大学による第1次調査、昭和63年・平成元年に川口町教育委員会及び東北大学による第2次・第3次調査が行われた。さらに、平成13年には、川口町教育委員会が遺跡の範囲確認を目的として、第4次調査を行った。 以上の調査で、遺跡の範囲は東西約100m、南北約50mであることが確認されるとともに、約10万点という極めて多数の石器が集中出土地点をもって出土した。これらには、細石刃、湧別技法による楔形細石刃核、幌加技法による舟底形細石刃核、彫刻刀形石器(彫器)、スクレイパー類などが多数含まれ、後期旧石器時代終末の細石刃文化期の典型的な石器群の様相を示している。特に、多量に出土している彫刻刀形石器の多くは、素材剥片の全周に調整剥離を加えた後に、先端部の左肩に1条ないし数条の樋状剥離を施して彫刻刀面を作り出すもので、基部腹面に入念な調整を施したものも多いなど、極めて特徴的な形状を示すことから、本遺跡の名前をとって荒屋型と型式設定された。さらに、石器製作過程や使用過程で作出される砕片類や削片類が多数出土し、接合資料も見られることから、本遺跡は、石器製作とそれらを利用しての道具製作とその使用を行った拠点的な遺跡と見ることができる。第1次調査で採取された木炭の放射性炭素年代測定値は、13,200±350年B.P.である。 本遺跡で確認された荒屋型彫刻刀形石器と楔形細石刃核の組合せは、当該期の北東アジアの旧石器文化研究上で重要な指標となっている。この組合せをもつ石器群が約2万年前までにバイカル湖周辺地域で成立した後、後期旧石器時代の末期から新石器時代初頭に、中国北半部、朝鮮半島、日本列島、カムチャッカ半島、そして、アラスカにまで拡散する状況が把握できる。こうした石器群の拡散の状況を寒冷環境に適応した北方モンゴロイド集団の動きと結びつけて考える学説も提示されている。また、本遺跡同様、荒屋型彫刻刀形石器と湧別技法をもつ石器群が、日本列島では東北日本を中心に分布するが、これらを保持する集団が北海道経由で東北日本に拡散することを想定する説もある。 このように、荒屋遺跡は、細石刃文化とりわけ北方系細石刃文化について日本を代表する遺跡であり、旧石器時代末期における人類集団の拡散を如実に示すとともに、学史上、極めて重要な遺跡であることから、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。