国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
旧武雄邑主鍋島氏別邸庭園(御船山楽園)
ふりがな
:
きゅうたけおゆうしゅなべしましべっていていえん(みふねやまらくえん)
旧武雄邑主鍋島氏別邸庭園(御船山庭園)
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
近世
年代
:
西暦
:
面積
:
142428.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2010.02.22(平成22.02.22)
追加年月日
:
登録基準
:
一.公園、庭園
所在都道府県
:
佐賀県
所在地(市区町村)
:
佐賀県武雄市大字武雄
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
旧武雄邑主鍋島氏別邸庭園(御船山庭園)
解説文:
詳細解説
御船山の断崖絶壁の南西麓において、弘化2年(1845)に武雄邑主鍋島茂義が造った、「萩の尾園」という別邸の池泉庭園を基礎とし、明治末年以後にサクラや大量のツツジが植えられることで遊覧の名所として発展した庭園。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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旧武雄邑主鍋島氏別邸庭園(御船山庭園)
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解説文
御船山の断崖絶壁の南西麓において、弘化2年(1845)に武雄邑主鍋島茂義が造った、「萩の尾園」という別邸の池泉庭園を基礎とし、明治末年以後にサクラや大量のツツジが植えられることで遊覧の名所として発展した庭園。
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詳細解説
端岳、中岳、西岳の三峰からなり、その姿が唐船に似ているといわれる武雄の御船山は、地殻変動の隆起によってできた山で、第三紀層の上に石英粗面岩類の岩峰が屹立している。『武雄市史』によれば、山名は神功皇后が巡幸の際に、船をつないだ伝説に因むという。御船山の東麓には天平年間に創建されたという武雄神社があり、また、北麓には平安時代から続く旧武雄領主後藤氏(江戸時代初期に鍋島と改姓)の居城である武雄城があって、江戸時代に一国一城令により破却され居館となった。また、端岳の西麓には、室町時代後期の作とされる阿弥陀三尊像が刻まれ、江戸時代以降の羅漢像が多数安置されている五百羅漢窟がある。旧武雄邑主鍋島氏別邸庭園は、御船山の断崖絶壁の南西麓において、弘化2年(1845)に武雄邑主鍋島茂義(1800~1862)が京都から狩野派の絵師を招いて造った、「萩の尾園」という別邸の池泉庭園を基礎とする。幕末の佐賀藩主鍋島直正が訪れた際に、「渓山崖所」の書を贈っていることから、当時から端岳の絶壁の景色がこの庭園の特長としてみなされていたことが推察される。明治初期には一般に公開されていたようであるが、明治末年には荒廃したため、鍋島家が庭師巌谷喜平に管理を任せると、巌谷は庭園の区域を拡張しサクラや大量のツツジを植え、遊覧の名所としたという。大正13年(1926)に発行された『武雄案内』には、「萩の尾のお茶屋」として紹介されている。現在は、御船山楽園として公開されており、サクラ、ツツジ、紅葉の名所として多くの来園者で賑わっている。見上げる者を圧倒する御船山の断崖絶壁の景観は、麓に群植された無数のツツジと調和して、雄大で美しい。また北西畔に数寄屋造りの茶屋が建つ池泉の景観からは往時が偲ばれる。 本庭園は、類いまれな自然景観を取り込み、江戸時代に造られた後、近代以降も発展を遂げた庭園であり、その立地及び造営の経緯の観点から造園史上の意義が深いと考えられる。