国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
帯笑園
ふりがな
:
たいしょうえん
望嶽亭の沓脱石
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
江戸
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
:
静岡県
所在地(市区町村)
:
静岡県沼津市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
望嶽亭の沓脱石
解説文:
詳細解説
東海道を往来する公家・大名などが立ち寄り、花にまつわる文芸・文化の交換の場となった植松氏の庭園。近世後期から近代にかけて爆発的に流行した園芸文化を象徴し、花壇を中心とする庭園の遺存事例として意義深い。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
望嶽亭の沓脱石
水生植物用の陶製水盤
玉石敷の延段
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望嶽亭の沓脱石
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水生植物用の陶製水盤
写真一覧
玉石敷の延段
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解説文
東海道を往来する公家・大名などが立ち寄り、花にまつわる文芸・文化の交換の場となった植松氏の庭園。近世後期から近代にかけて爆発的に流行した園芸文化を象徴し、花壇を中心とする庭園の遺存事例として意義深い。
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詳細解説
帯笑園は、近世後期に江戸に下る公家・大名など、多様な階層の人々が立ち寄り、花卉類及び文芸・文化の交換の場となった東海道原宿に所在の植松氏の庭園である。 植松氏は十六世紀後半にこの地に居を構えた豪農で、開墾・植林を行うとともに、花卉類の収集にも努め、「花長者」とも呼ばれるようになった。その居宅には、芍薬、万年青、松葉蘭、桜草などの植物が集められ、やがて「菊花園」又は「植松叟花園」と呼ばれるようになり、寛政三年(1791)に儒学者の海保青陵(1755~1817)が「帯笑園」と名付けたとされる。彼の著作である『狐白裘』によると、命名の意図は、帯笑園に遊び寿楽を得て大いに笑うことがすべて花の報いだとする考え方にあったことが知られる。 近世には圓山応挙、頼山陽が、近代以降には皇室及び明治政府の閣僚などがそれぞれ来園し、特に和蘭商館長とともに来園したシーボルトは、『江戸参府紀行』にその優秀な風致景観及び豊富な植物見本を記した。現在の庭園には、来歴を刻んだ複数の石碑、富士山を望む「望嶽亭」の大きな沓脱石、玉石敷の延段、ハスの栽培のための複数の陶製水盤などが遺存するほか、当時の遺風を伝える二階建ての土蔵(居間蔵)などの建物も残されている。また、もともと東海道に面する表門に懸けられていた高島秋帆(1798~1866)の揮毫に成る「帯笑園」の扁額をはじめ、来訪した文人墨客及び著名人の芳名帳、彼らとの間に交換した数多の詩文・絵画、植物見本に関する史料なども豊富に保管されている。近世後期から近代における花卉類の収集・展示の場となった庭園の事例として、帯笑園が造園文化の発展に果たした意義は深い。 以上のように、帯笑園は、元来残りにくい性質を持つ花卉類の収集・展示のための庭園の遺存事例であり、近世から近代にかけての庭園文化の一端及びその独特の意匠・工法を知る上で意義深い事例である。