国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
旧中西氏庭園
ふりがな
:
きゅうなかにししていえん
旧中西氏庭園.玄関棟南庭園
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2013.08.01(平成25.08.01)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
:
大阪府
所在地(市区町村)
:
大阪府吹田市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
旧中西氏庭園.玄関棟南庭園
解説文:
詳細解説
江戸時代後期に淀藩の大庄屋を勤め,明治時代以降にも財力を維持した大阪近郊の資産家の住宅庭園。19世紀前半の屋敷図及び明治時代以降の古写真等により,幕末から明治33年(1900)頃までの間に完成したものと見られる。特に長屋門から主屋に至る間の庭園は,地面を掘りくぼめて造った2つの石組みの枯(かれ)池(いけ)と,両者を結ぶ崩(くずれ)石積(いしづ)み護岸の枯流れから成り,長屋門から主屋玄関へと導く延段と枯流れとの交差点に石橋を架けている。底部から深山(しんざん)幽谷(ゆうこく)の景を観賞できるよう企図したものと考えられ,珍しい発想・技法による独特の意匠・構成であることから,近代の造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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旧中西氏庭園.玄関棟南庭園
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旧中西氏庭園.玄関棟南庭園
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解説文
江戸時代後期に淀藩の大庄屋を勤め,明治時代以降にも財力を維持した大阪近郊の資産家の住宅庭園。19世紀前半の屋敷図及び明治時代以降の古写真等により,幕末から明治33年(1900)頃までの間に完成したものと見られる。特に長屋門から主屋に至る間の庭園は,地面を掘りくぼめて造った2つの石組みの枯(かれ)池(いけ)と,両者を結ぶ崩(くずれ)石積(いしづ)み護岸の枯流れから成り,長屋門から主屋玄関へと導く延段と枯流れとの交差点に石橋を架けている。底部から深山(しんざん)幽谷(ゆうこく)の景を観賞できるよう企図したものと考えられ,珍しい発想・技法による独特の意匠・構成であることから,近代の造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
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詳細解説
大阪平野北部の安威川の北岸にあたる旧古志部東村(現在の吹田市岸部)のほぼ中央に、江戸時代末期に淀藩の大庄屋をつとめ、明治時代以降にも素封家として財力を維持した中西氏の旧邸宅と庭園がある。 南東を正面とする住宅の敷地は南北約55m、東西約58mのほぼ正方形を成し、庭園は南辺中央に開く長屋門と文政9年(1826)に建造された主屋との間の空間、庭門を介して主屋の西側に南北に広がる空間の2つの部分から成る。 特に長屋門と主屋との間の庭園には、地面を掘りくぼめて造った東・西の石組みの枯池及び両者を結ぶ崩石積みの護岸の枯流れを配置し、枯流れと長屋門から主屋玄関棟へと導く延段との交差点に石橋を架けている。西側の枯池には2箇所に、東側の枯池には3箇所に、それぞれ複数段から成る石段を設け、枯池及び枯流れの底に降り立つことができるように意匠している。西側の枯池の底部には井戸があるが、池底を満たすほどの湧水はない。枯池及び枯流れには導水口又は排水口がなく、降雨時に少量の湛水があるのみである。したがって、底部から深山幽谷の景を観賞できるよう企図したものと考えられ、珍しい発想・技法による独特の意匠・構成であるといってよい。これらは、天保5年(1834)の屋敷図及び明治以降に撮影された古写真等により、幕末から明治33年(1900)頃までの間に完成したものと見られる。 また、主屋の西側には、天保5年(1834)・同6年(1835)の2葉の屋敷図に記す地割の名残とも考えられる地形・石組等を含め、枯流れ及び築山などから成る庭園が築かれている。 現在、吹田市・市民が進めている活用施策の今後にも大いに期待が持てる。 以上のように、旧中西氏庭園は近世後期から近代にかけて造営・改修が行われた大阪近郊の素封家の住宅庭園であり、底部からの観賞を企図した枯池及び枯流れなど、独特の意匠・形態に近代の造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。