国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
立梅用水
ふりがな
:
たちばいようすい
立梅用水(立梅井堰)
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種別1
:
登録記念物(遺跡関係)
種別2
:
時代
:
江戸~現代
年代
:
西暦
:
面積
:
46223.9 m
2
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2014.10.06(平成26.10.06)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
:
三重県
所在地(市区町村)
:
三重県多気町・松阪市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
立梅用水(立梅井堰)
解説文:
詳細解説
一級河川櫛(くし)田川(だがわ)に設置された立(たち)梅井堰(ばいいせき)によって取水し,中流域右岸の河岸段丘面に導水する用水路。全長28km,現在の受益面積267ha。灌漑用水のみならず,防火用水,発電用水等多様な利水がなされている。波(は)多瀬(たせ)発電所までの導水路(約4km)に続いて,波多瀬・片野・朝柄・古江・丹生の各地区に幹線用水路が延びている。地元の西村彦(にしむらひこ)左(ざ)衛門(えもん)為(ため)秋(あき)らが立案し,和歌山藩への請願により,文政3年(1820)3月着工,同6年2月に竣工した。廃藩置県後は用水の維持管理費用の捻出が大きな課題となったが,大正9年,三重(みえ)共同(きょうどう)電力(でんりょく)株式(かぶしき)会社(がいしゃ)との契約により,安定した財源を得ることが可能となった。これは現在の中部電力株式会社との契約に継承されている。また,昭和26年以降,県営の改良事業が実施され,今日に至っている。現在の水路は昭和期以降の工事により,基本的に三方コンクリート張りの開渠(かいきょ)となり,一部新たに掘削された隧道が利用されているが,硬い岩盤を刳り抜いた素掘りの隧道や切り通し部分が良好に残り,大半の経路が当初の経路を踏襲していると考えられることとあいまって,近世の土木技術を知る上で貴重である。また,元禄期に和歌山藩の大畑才蔵が測量を実施しており,紀州流と呼ばれる土木工法の実態を解明する上でも貴重である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
立梅用水(立梅井堰)
立梅用水(近景)
立梅用水(隧道)
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立梅用水(立梅井堰)
写真一覧
立梅用水(近景)
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立梅用水(隧道)
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解説文
一級河川櫛(くし)田川(だがわ)に設置された立(たち)梅井堰(ばいいせき)によって取水し,中流域右岸の河岸段丘面に導水する用水路。全長28km,現在の受益面積267ha。灌漑用水のみならず,防火用水,発電用水等多様な利水がなされている。波(は)多瀬(たせ)発電所までの導水路(約4km)に続いて,波多瀬・片野・朝柄・古江・丹生の各地区に幹線用水路が延びている。地元の西村彦(にしむらひこ)左(ざ)衛門(えもん)為(ため)秋(あき)らが立案し,和歌山藩への請願により,文政3年(1820)3月着工,同6年2月に竣工した。廃藩置県後は用水の維持管理費用の捻出が大きな課題となったが,大正9年,三重(みえ)共同(きょうどう)電力(でんりょく)株式(かぶしき)会社(がいしゃ)との契約により,安定した財源を得ることが可能となった。これは現在の中部電力株式会社との契約に継承されている。また,昭和26年以降,県営の改良事業が実施され,今日に至っている。現在の水路は昭和期以降の工事により,基本的に三方コンクリート張りの開渠(かいきょ)となり,一部新たに掘削された隧道が利用されているが,硬い岩盤を刳り抜いた素掘りの隧道や切り通し部分が良好に残り,大半の経路が当初の経路を踏襲していると考えられることとあいまって,近世の土木技術を知る上で貴重である。また,元禄期に和歌山藩の大畑才蔵が測量を実施しており,紀州流と呼ばれる土木工法の実態を解明する上でも貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
一級河川櫛田川に設置された立梅井堰によって取水し、中流域右岸の河岸段丘面に導水する用水路である。全長28km、現在の受益面積267ha。灌漑用水のみならず、防火用水、発電用水等多様な利水がなされている。波多瀬発電所までの導水路(約4km)に続いて、波多瀬・片野・朝柄・古江・丹生の各地区に幹線用水路が延びている。平成18年、農水省の「疏水百選」に選定されている。 地元の西村彦左衛門為秋らが立案し、和歌山藩への請願により、文政3年(1820)3月着工、同6年2月に竣工した。測量は文化14年(1817)に乙部才助らにより行われたものである。用水の完成により、田160余町が開墾された。廃藩置県後は用水の維持管理費用の捻出が大きな課題となったが、大正9年、三重共同電力株式会社との契約により、安定した財源を得ることが可能となった。これは現在の中部電力株式会社との契約に継承されている。また、昭和26年以降、県営の改良事業が実施され、今日に至っている。 現在の水路は昭和期以降の工事により、基本的に三方コンクリート張りの開渠となり、一部新たに掘削された隧道が利用されているが、硬い岩盤を刳り抜いた素掘りの隧道や切り通し部分が良好に残り、大半の経路が当初の経路を踏襲していると考えられることと相まって、近世の土木技術を知る上で、貴重なものとなっている。 また、元禄期に和歌山藩の大畑才蔵が測量を実施しその時の測量図が現存しており、開削の可能性を検討している。紀州流と呼ばれる土木工法の実態を解明する上でも貴重である。 西村為左衛門の業績については江戸時代より顕彰がなされてきたが、今日においても立梅用水の意義とともに小中学校の郷土学習のなかでも取り上げられている。現在の井堰(直線重力式溢流型堰堤、コンクリート造、表面練石張、長さ59.34m、高さ5.15m)は大正10年の建設で、文政期の井堰はより上流につくられ、洪水により位置を下流側に移動してきた。現在のものは3代ないし4代目とされる。用水路の断面は逆台形ないし凹字形を呈し、波多瀬地区で上幅2.4m、深さ1.4m、丹生地区で上幅1.5m~0.45m、深さ1m~0.45mとなっている。勾配は1/1,000から1/2,000である。 このように、立梅用水は江戸時代に開削された用水路を踏襲しつつ改修を重ねたもので、紀州流と呼ばれる土木工法や河岸段丘面における水田開発といった地域の歴史の特徴を表すとともに、西村彦左衛門為秋や大畑才蔵ら歴史上の人物に関する記念物である。よって登録記念物に登録し、保存・活用を図るものである。