国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
旧伊東伝左衛門庭園
ふりがな
:
きゅういとうでんざえもんていえん
旧伊東伝左衛門庭園
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
江戸
年代
:
西暦
:
面積
:
1960.32 m
2
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2015.01.26(平成27.01.26)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
:
宮崎県
所在地(市区町村)
:
宮崎県日南市
保管施設の名称
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所有者種別
:
所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
旧伊東伝左衛門庭園
解説文:
詳細解説
旧伊東伝左衛門庭園は,日南市内を流れる酒谷川左岸の飫肥城下町の中でも,上級藩士の居住区である十文字地区に位置する。伊東氏は飫肥藩主の係累で,代々家老職を務めた。
高台上に位置する敷地の周囲には飫肥石を用いた石垣が巡り,その上は生垣となっている。石垣の上を生垣とするのは飫肥藩の武家屋敷に一般的に見られ,それらの多くが現在まで伝えられている。
主屋及び庭園は敷地の南東部分に造られており,表座敷からの観賞を主とする。敷地の南東隅部を利用して土塁状の築山が鉤型(かぎがた)に造られ,枯滝石組み,枯流れ,石の反橋,平場から築山上部へと続く飛び石の園路,石燈籠などが配されている。また,植栽の中心となっているソテツの根元,築山の裾全体に石が組まれている。築山を越えて庭園の外には東から南へ展開する山並みを望むことができる。
旧伊東伝左衛門庭園は,飫肥城下に造られた上級藩士の庭園の様子をよく伝え,近世の南九州地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧伊東伝左衛門庭園
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旧伊東伝左衛門庭園
解説文
旧伊東伝左衛門庭園は,日南市内を流れる酒谷川左岸の飫肥城下町の中でも,上級藩士の居住区である十文字地区に位置する。伊東氏は飫肥藩主の係累で,代々家老職を務めた。 高台上に位置する敷地の周囲には飫肥石を用いた石垣が巡り,その上は生垣となっている。石垣の上を生垣とするのは飫肥藩の武家屋敷に一般的に見られ,それらの多くが現在まで伝えられている。 主屋及び庭園は敷地の南東部分に造られており,表座敷からの観賞を主とする。敷地の南東隅部を利用して土塁状の築山が鉤型(かぎがた)に造られ,枯滝石組み,枯流れ,石の反橋,平場から築山上部へと続く飛び石の園路,石燈籠などが配されている。また,植栽の中心となっているソテツの根元,築山の裾全体に石が組まれている。築山を越えて庭園の外には東から南へ展開する山並みを望むことができる。 旧伊東伝左衛門庭園は,飫肥城下に造られた上級藩士の庭園の様子をよく伝え,近世の南九州地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
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詳細解説
旧伊東伝左衛門庭園は、日南市内を大きく蛇行して流れる酒谷川左岸の飫肥城下町の中でも、上級藩士の居住区である十文字地区に位置する。伊東氏は飫肥藩主の係累で、代々家老職を務めた。 高台上に位置する敷地の周囲には飫肥石を用いた石垣がめぐり、その上は生垣となっている。石垣の上を生垣とするのは飫肥藩の武家屋敷に一般的に見られ、それらの多くが現在まで伝えられている。 主屋及び庭園は敷地の南東部分に造られている。主屋周辺にあたる敷地の西半分及び北東部は空地となっているが、飫肥藩では屋敷地での耕作が奨励されていたことから、これらの部分は耕作地であった可能性がある。 敷地の東側に接する八幡通りから石段を上り、玄関を入ると玄関の間があり、左に進んで次の間を抜けると、庭園に面する表座敷へと至る。 庭園は表座敷からの観賞を主とする。敷地の南東隅部を利用して土塁状の築山が鉤型に造られ、枯滝石組、枯流れ、石の反橋、平場から築山上部へと続く飛石の園路、石燈籠などが配されている。また、植栽の中心となっているソテツの根元、築山の裾全体に石が組まれている。築山を越えて庭園の外には東から南へ展開する山並みを望むことができる。 作庭の時期に関する明確な記録は残されていないが、建物と庭園の位置関係などから、主屋が造られたと考えられる安政3年(1856)頃、またはそれ以前の作庭と推察される。 以上のように、旧伊東伝左衛門庭園は、飫肥城下に造られた上級藩士の庭園の様子をよく伝え、近世の南九州地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。