国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
十国峠(日金山)
ふりがな
:
じっこくとうげ(ひがねさん)
十国峠(日金山)(頂上より北西方向)
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
256534.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2016.03.01(平成28.03.01)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
:
静岡県
所在地(市区町村)
:
静岡県熱海市・田方郡函南町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
十国峠(日金山)(頂上より北西方向)
解説文:
詳細解説
十国峠(日金山)は箱根外輪山から南に続く尾根(標高765m)で,風衝(ふうしょう)によりハコネダケ,アズマササ,ミヤクマザサなどのササ類とハンノキ,アセビなどの低木林が優占している。日金山は古くからの信仰の地で,中世以降,伊豆山権現と箱根権現を結ぶ信仰の道の要所として,あるいは,「山中他界」として死者の集まる霊山として知られるようになった。
江戸時代後期における旅文化の発展に伴い,十国五島の景勝を望む好適地として知られるようになった。日金山からの眺望の特徴は,様々な絵画に描かれ,なかでも,葛飾北斎の『豆州(ずしゅう)日(ひ)金山(がねさん)眺望(ちょうぼう)絵巻(えまき)』(天保4年,1833)には周囲360度に広がる景色が一連のものとして表現されている。明治時代以降,数々の文学作品にも描かれて「十国峠」の名が普及し,伊豆・箱根地域を代表する観光地のひとつとして定着してきた。その地勢と植生の特徴から,富士山をはじめとした四周八方の景勝を望む好適地を成し,当地の歴史・伝統にゆかりの景勝地として親しまれてきた意義深い事例である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
十国峠(日金山)(頂上より北西方向)
十国峠(日金山)(頂上より南東方向)
十国峠(日金山)(頂上より南方向)
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十国峠(日金山)(頂上より北西方向)
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十国峠(日金山)(頂上より南東方向)
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十国峠(日金山)(頂上より南方向)
解説文
十国峠(日金山)は箱根外輪山から南に続く尾根(標高765m)で,風衝(ふうしょう)によりハコネダケ,アズマササ,ミヤクマザサなどのササ類とハンノキ,アセビなどの低木林が優占している。日金山は古くからの信仰の地で,中世以降,伊豆山権現と箱根権現を結ぶ信仰の道の要所として,あるいは,「山中他界」として死者の集まる霊山として知られるようになった。 江戸時代後期における旅文化の発展に伴い,十国五島の景勝を望む好適地として知られるようになった。日金山からの眺望の特徴は,様々な絵画に描かれ,なかでも,葛飾北斎の『豆州(ずしゅう)日(ひ)金山(がねさん)眺望(ちょうぼう)絵巻(えまき)』(天保4年,1833)には周囲360度に広がる景色が一連のものとして表現されている。明治時代以降,数々の文学作品にも描かれて「十国峠」の名が普及し,伊豆・箱根地域を代表する観光地のひとつとして定着してきた。その地勢と植生の特徴から,富士山をはじめとした四周八方の景勝を望む好適地を成し,当地の歴史・伝統にゆかりの景勝地として親しまれてきた意義深い事例である。
詳細解説▶
詳細解説
十国峠(日金山)は熱海市と田方郡函南町の境界に位置し、新生代新第三系の湯ヶ島層群(1500~1000万年前)の上に箱根火山の形成にともなう溶岩が覆って形成された箱根外輪山から南に続く尾根(標高765m)で、風衝によりハコネダケ、アズマササ、ミヤクマザサなどのササ類とハンノキ、アセビなどの低木林が優占している。日金山は古くからの信仰の地で、現在熱海市に所在する伊豆山権現(走湯山)の最初の鎮座地として、応神天皇2年(271)、相模の海上に現れた円鏡を松葉仙人がこの地に祀ったと伝えられ、中世以降、伊豆山権現と箱根権現を結ぶ信仰の道の要所として、あるいは、「山中他界」として死者の集まる霊山として知られるようになった。 江戸時代後期における旅文化の発展に伴い、日金山からの眺望の特徴は、中山高揚の『八州勝地図』(安永6年,1777)や谷文晁の『日金絶頂真景図』(19世紀初頭)などに描かれ、なかでも、葛飾北斎の『豆州日金山眺望絵巻』(天保4年,1833)には周囲360度に広がる景色が一連のものとして表現されている。天明3年(1783)に建立された石碑の文面には、十国五島(相模・武蔵・上総・下総・安房・駿河・遠江・信濃・甲斐・伊豆の10国と、大島・利島・三宅島・新島・神津島の5島)を見渡すことが記されており、後に「十国峠」の名の由来となったもので、富岡鉄斎の『富士遠望 寒霞渓図』(明治38年,1905)にも描かれている。明治時代以降、成島柳北の漢詩、高山樗牛の随筆、田山花袋の紀行、太宰治の小説などに描かれて「十国峠」の名が普及し、昭和31年(1956)には、十国鋼索線(十国峠ケーブルカー)が開業するなど、伊豆・箱根地域を代表する観光地のひとつとして定着してきた。 十国峠(日金山)は、その地勢と植生の特徴から、富士山をはじめとした四周八方の景勝を望む好適地を成し、当地の歴史・伝統にゆかりの景勝地として長く親しまれてきた意義深い事例である。