国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
南海地震徳島県地震津波碑
ふりがな
:
なんかいじしんとくしまけんじしんつなみひ
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種別1
:
登録記念物(遺跡関係)
種別2
:
時代
:
江戸~現代
年代
:
西暦
:
面積
:
79.84 m
2
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2017.10.13(平成29.10.13)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
:
徳島県
所在地(市区町村)
:
徳島県徳島市・小松島市・阿南市・那賀郡那賀町・海部郡美波町・牟岐町・海陽町
保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
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解説文:
詳細解説
徳島県の沿岸には慶長,宝永,嘉永(安政),昭和の4度の地震津波の被害と教訓を後世に伝えるため建設された石碑が多数存在する。地震津波碑19基(3市4町)を登録することにより,後世に確実に伝え,減災社会実現の一助とする。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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解説文
徳島県の沿岸には慶長,宝永,嘉永(安政),昭和の4度の地震津波の被害と教訓を後世に伝えるため建設された石碑が多数存在する。地震津波碑19基(3市4町)を登録することにより,後世に確実に伝え,減災社会実現の一助とする。
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詳細解説
徳島県は過去、繰り返し発生する南海地震の津波により大きな被害を受けてきた。そして、それらの被害の状況を後世に伝えるため、各地に地震津波碑が建立された。徳島県教育委員会は平成28年度に改めて県内の地震津波碑の悉皆調査を実施し、総数39基の地震津波碑(石碑類)の存在を確認・集成した(そのなかには供養塔、慶長南海地震で折損したと伝えられる鳥居の一部、農地の改良・復旧を記念する碑も含んでいる)。 石碑の分布は、県南部の海部郡から、北部の板野郡松茂町や徳島市まで広範囲に及んでいる。特に、昭和南海地震の被害が大きかった海部郡海陽町に集中している傾向がみられる。対象となる地震は、慶長10年(1605)の慶長南海地震、宝永4年(1707)の宝永南海地震、嘉永7年・安政元年(1854)の安政南海地震、昭和21年(1946)の昭和南海地震の4度の地震である。そのうち半数は安政南海地震に関連したものである。碑の形状は本来記念碑としてつくられたもののほか、自然石を利用して石碑として加工を施したもの、灯籠等本来の機能は別にあるが、それに記念のための文字を刻したものなどがある。 地蔵尊や灯籠等が社寺の境内地に存在するのは当然としても、地震津波碑の建立場所として社寺境内が多いことは注目される。そこが避難場所となったこと、神仏の加護に感謝して建立されたものや、信心を怠るなとの教訓を述べるものがある。碑文には津波被害を記録したものが多く、犠牲者への鎮魂や追悼等を記した供養のほか、減災への教訓(船には乗るべからず。火の元に気をつけよ。天変地異の兆候に遭えば油断なく避難せよ。山道は年々作るべし)もあり、また、地震津波の周期性に言及するものがある。 これらは、地域における文化遺産として、あるいは防災教育の教材として後世に伝え、活用を図っていくべきものである。39基のうち、すでに3町5基の石碑は町の有形文化財として指定され、保存活用が図られている。碑文が読みづらくなったことから、新しい碑を建て、記録・記憶を後世に伝える取り組みも行われている。石碑の建立にあたっては過去の石碑や記録類を参照していることも明らかとされており、板書(扁額)や『震潮記』(宍喰の田井税伯の記録)に代表される古文書等と合わせて、地震被害の実態とその対策を考えていく必要がある。 このように南海地震の被害状況を今日に伝える徳島県の地震津波碑は、命の大切さを学ぶとともに、周期的に発生する地震津波への対処を考えるうえで貴重な材料といえるものである。今回、すでに文化財指定されているものや建立後50年に満たないもの等を除外し、19基・地点の地震津波碑を登録記念物に登録し、保存・活用を図るものである。