国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
光臺院書院庭園
ふりがな
:
こうだいいんしょいんていえん
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
昭和~現代
年代
:
西暦
:
面積
:
2152.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2017.10.13(平成29.10.13)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
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和歌山県
所在地(市区町村)
:
和歌山県伊都郡高野町
保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
昭和時代を代表する作庭家である重(しげ)森(もり)三(み)玲(れい)の手による昭和38年(1963)の作庭で,8つの峯に囲まれた聖地としての高野山の在り方を参照し,中島を有する園池を中心に「蓮(れん)華(げ)八(はち)葉(よう)」として表現した庭園であり,重森の作風の一端を知る上で意義深い事例である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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解説文
昭和時代を代表する作庭家である重(しげ)森(もり)三(み)玲(れい)の手による昭和38年(1963)の作庭で,8つの峯に囲まれた聖地としての高野山の在り方を参照し,中島を有する園池を中心に「蓮(れん)華(げ)八(はち)葉(よう)」として表現した庭園であり,重森の作風の一端を知る上で意義深い事例である。
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詳細解説
光臺院書院庭園は、高野山の北西、五の室谷に位置する。光臺院の開基については諸説あり、寺伝としては白河天皇第四皇子である覚法法親王(1092-1153)によるものと伝えられるが、後鳥羽天皇第二皇子の道助法親王とする説もある。また同院が所在する五の室谷の地名は、開創者が同院に5つの庵室を作ったことに由来するとされる。本尊の阿弥陀如来及両脇侍像は快慶の作であり、重要文化財に指定されている。光臺院には、庭園研究家であり作庭家でもあった重森三玲が設計した2庭園があり、昭和28年(1953)作庭の光臺院庭園は平成22年2月に登録記念物に登録されている。光臺院書院庭園は、昭和37年に焼失した書院を翌年再建するのに伴って造られたものである。 庭園は、既存の池泉庭園に中島を作り、背後に多くの築山を設けている。書院の縁先は石敷きの洲浜、その向こうは飛石とし、奥に向かって中島のある園池、3つの築山、2つの築山郡を配置している。築山の傾斜は緩やかで、園池の岸、中島、築山の麓等にそれぞれ石を立てる。植栽はサツキツツジがほとんどを占め、ほかに数本のカエデ類が配されている。樹木が植えられていないところはコケに覆われている。 重森は自著『日本庭園歴覧辞典』(昭和49年)の中で、光臺院書院庭園造営のいきさつや地割、参考資料等について述べており、それによると築山は三尊式で空海の入山を表している絵巻等を参考にして表現したと書いている。 昭和38年6月の日付のある重森による平面図が岡山県立美術館に所蔵されているが、その図面と比較してみても築山及び石組等には大きな違いはない。 重森は高野町で13の庭園を造った。そのうちの5つの庭園は登録記念物に登録されている。光臺院書院庭園は、高野町における一連の作庭の中に位置づけることができ、造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。