国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
会津飯盛山白虎隊士墳墓域
ふりがな
:
あいづいいもりやまびゃっこたいしふんぼいき
解説表示▶
種別1
:
登録記念物(遺跡関係)
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
1484.89 m
2
その他参考となるべき事項
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登録番号
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登録年月日
:
2019.02.26(平成31.02.26)
追加年月日
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登録基準
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所在都道府県
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福島県
所在地(市区町村)
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保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
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解説文:
詳細解説
戊辰戦争時の慶応4年(1868)に飯盛山で自刃した会津藩白虎隊士を祀る墳墓域。隊士墓は明治23年(1890)に整備され,大正15年(1926)拡張されて今日見られる姿となった。幕末の戊辰戦争における悲劇と,その慰霊の歴史を理解する上で意義深い。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
解説文
戊辰戦争時の慶応4年(1868)に飯盛山で自刃した会津藩白虎隊士を祀る墳墓域。隊士墓は明治23年(1890)に整備され,大正15年(1926)拡張されて今日見られる姿となった。幕末の戊辰戦争における悲劇と,その慰霊の歴史を理解する上で意義深い。
詳細解説▶
詳細解説
幕末・維新期の慶応4年(1868)の戊辰戦争において,飯盛山で自刃した会津藩白虎隊士を祀る墓所であり,会津若松市中心部の北東郊外にある飯盛山(標高314m)に所在する。白虎隊士中二番隊は8月23日早朝より戸ノ口原(とのくちはら)で新政府軍と戦ったが死傷者が続出し退却,飯盛山裏手の戸ノ口堰洞門(とのくちせきどうもん)を潜って飯盛山にたどり着いたが,炎と煙にさらされていた城下を見て隊士が自害した。 墳墓域は明治16年(1883)から整備が進められ,明治23年(1890),飯盛山に参道が整備され,山腹を削って墓域を拡張,19士の墓が建立された。明治33年には各地で戦死した31士の墓も設けられた。大正15年(1926),墓前広場を造成する拡張工事が行われ,今日見る姿となった。墳墓域北側には19士の墓石が,その前面には大正6年(1917)戊辰50年祭記念の石灯籠4基が並ぶ。広場手前の石段沿い脇に,大正15年墓地拡張の経緯を記した墳墓沿革碑が建つ。このほか,イタリア・ローマ市が昭和3年(1928)寄贈した碑等,白虎隊を追悼・顕彰する多数の石造物がある。 幕末・維新期の戊辰戦争における悲劇と,その慰霊の歴史を理解する上で意義深い。