国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要文化的景観
主情報
名称
:
樫原の棚田及び農村景観
ふりがな
:
かしはらのたなだおよびのうそんけいかん
樫原の棚田(棚田)
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
種別1
:
重要文化的景観
種別2
:
面積
:
59.3 ha
その他参考となるべき事項
:
選定番号
:
選定年月日
:
2010.02.22(平成22.02.22)
追加年月日
:
2013.10.17(平成25.10.17)
選定基準
:
(一)水田・畑地などの農耕に関する景観地,(八)垣根・屋敷林などの居住に関する景観地
所在都道府県
:
徳島県
所在地(市区町村)
:
徳島県勝浦郡上勝町
樫原の棚田(棚田)
解説文:
詳細解説
四国の勝浦川上流部の急傾斜面上に展開する棚田と居住地から成り、この地域の典型的・代表的な土地利用形態を示す良好な文化的景観。文化10年の分間絵図に描かれた水田・家屋・道などとの比較により、200年以上も土地利用形態が変化していないことがわかる稀有な事例。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
樫原の棚田(棚田)
樫原の棚田(民家の納屋)
写真一覧
樫原の棚田(棚田)
写真一覧
樫原の棚田(民家の納屋)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
四国の勝浦川上流部の急傾斜面上に展開する棚田と居住地から成り、この地域の典型的・代表的な土地利用形態を示す良好な文化的景観。文化10年の分間絵図に描かれた水田・家屋・道などとの比較により、200年以上も土地利用形態が変化していないことがわかる稀有な事例。
詳細解説▶
詳細解説
四国で第2の高峰、剣山(標高1,955m)から東へと延びる深い山塊に水源を発し、紀伊水道へと注ぐ勝浦川の上流部には、急峻な地形の合間を縫って棚田と農家が散在する。その中でも、勝浦川の支流の樫原谷川上流に位置する樫原地区は、標高997.2mの山犬嶽をはじめ常緑広葉樹などの深い山林に覆われた里山を背景として、南の樫原谷川へと連続する標高500~700mの急傾斜面上に営まれた上樫原・中樫原・下樫原の3つの居住地とその周辺の棚田から成る。他の集落と峠道で結ばれつつ、山間の地すべり地形を示す閉鎖的な窪地状の地形に、一群の棚田と農家がまとまって展開する農耕と居住の在り方は、この地域の典型的・代表的な土地利用形態を示し、良好な文化的景観を形成している。 樫原の棚田を中心とする土地利用形態の最大の特質は、文化10年(1813)11月の紀年銘のある『勝浦郡樫原村分間絵図』(以下、「分間図」という。)に描かれた水田の位置・形態をはじめ、家屋・道・堂宇・小祠の位置などとの詳細な照合が可能な点にある。この分間図は徳島藩の測量技術者であった岡崎三蔵らが作成したと見られる図面で、約1,800分の1の縮尺の下に精度高く描かれたその詳細な内容と現況との比較により、200年以上を経過してなお土地利用形態がほとんど変化していないことが知られる。 現在の棚田への水利系統は、樫原谷川とその支流から等高線に沿って引かれた14本の用水を中心として、全域に精巧に張り巡らされている。谷川からの取水地点には、かつて水車が存在したことを示す石積みの遺構が複数残されている。分間図からは当時の給水の在り方を知り得ないが、水田の形態が変化していないことから、現状の水利系統も当時から大きく変わっていないことが想定される。 また、上樫原と下樫原の棚田には石積みの畦畔が見られるのに対し、中樫原の棚田は土坡による畦畔が主体となっている。それらが混在し、人為的管理が継続されてきた棚田の自然環境は、草地性植物やそれを利用する昆虫など、多様な生物の生息環境の安定的維持にも寄与してきた。さらに、各水田には竹樋を用いた給水や「田越」の給水が行われているほか、冷水を温めつつ導水する「ヨセ」や、上方の水田からの水を排除する「ヨケ」など、水利上の工夫も見られる。樫原の棚田は、全体の面積が大きいのに対し、水田1枚当たりの平均面積が180㎡と小さく、平均勾配は約4分の1と急勾配であり、立地する標高も町内の他事例に比較して最も高いなど、この地域における棚田の中でも特質が見られる。 樫原の農家は、等高線に沿って形成された細長く狭い敷地に、主座敷・ナカノマ・ネマ・ニワが桁行方向に並ぶ間取りの主屋を中心として、これに納屋・牛屋などの附属屋が横に並んで建つ独特の配置形式が見られ、徳島県下でも剣山の東南山間地に共通する農家とその敷地構造の特質を示している。現在の民家は19軒あり、そのうちの7軒が分間図に描かれたものと位置が一致する。 神社の社殿や小祠など、信仰の対象となった施設が人口に比して多い点も注目される。山犬嶽に対する信仰の在り方を示す石造物、山中・道中の要所に結界の表示を兼ねて配置された小祠、田畑の脇に屋敷神を祀った小祠など多様である。特に秋葉神社では、旧暦の7月27日の深夜に行われる「月待ち」の儀礼を含む祭礼が継続的に行われているほか、山の神を祀った小祠には山仕事に用いる道具の雛形を奉納する習慣も見られる。このような農耕と密着した信仰の在り方を示す景観の諸要素は、日常的な生活・生業の場と、その周囲を取り囲む山と森から成る神々の世界との境界部分に配置されてきた。 以上のように、「樫原の棚田」は、徳島県中部の山間地における急峻な地形とも調和しつつ、近世から近現代に至るまでこの地方で継続的に営まれてきた棚田と農家から成る典型的・代表的な山村の土地利用形態を表すとともに、19世紀初頭の詳細な分間図との照合が可能な文化的景観の希少事例であり、我が国民の生活又は生業を理解する上で欠くことのできないものであることから、重要文化的景観に選定して保護を図ろうとするものである。