国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要文化的景観
主情報
名称
:
久礼の港と漁師町の景観
ふりがな
:
くれのみなととりょうしまちのけいかん
久礼外港
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種別1
:
重要文化的景観
種別2
:
面積
:
244.6 ha
その他参考となるべき事項
:
選定番号
:
選定年月日
:
2011.02.07(平成23.02.07)
追加年月日
:
選定基準
:
所在都道府県
:
高知県
所在地(市区町村)
:
高知県高岡郡中土佐町
久礼外港
解説文:
詳細解説
「久礼の港と漁師町の文化的景観」は、中近世に繁栄した港を核として形成された市街地が、鰹漁とともに発展した漁師町や漁港と相まって形成される独特の文化的景観である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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久礼外港
久礼港
久礼の町並み
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久礼外港
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久礼港
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久礼の町並み
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解説文
「久礼の港と漁師町の文化的景観」は、中近世に繁栄した港を核として形成された市街地が、鰹漁とともに発展した漁師町や漁港と相まって形成される独特の文化的景観である。
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詳細解説
高知県高岡郡中土佐町は高知県の中西部に位置し、四万十川上流域の台地部に位置する旧大野見村と海岸部に展開する旧中土佐町が、平成18年度に合併して成立した総面積193.43キロメートル、人口八千人あまりの町である。山間部においては、四万十川に育まれ形成された農地や林地が優勢する一方、海岸部は物資の積出し港として発展し、昭和になると鰹の一本釣りによって全国的に知られるようになった。 久礼の港の成立は古く、久礼湾に注ぐ久礼川の支流域からは、平安時代にさかのぼる倉庫と判断される遺構が検出されている。また中世においては、四万十川流域から関西圏、特に堺を巻き込む大規模な商業活動が活発化し、その中で久礼は須崎港に代表される一連の主要拠点の一つとして発展した可能性が高い。近世初頭には、家臣団居住地とともに市や寺社、城館等が統合され、船大工などの職人集団を中心に港湾機能に重点を置く小規模な都市プランが形成された。現在の久礼の町並みは、この時代の地割りに由来するものと考えられる。 久礼に残る建物には、激しい台風に見舞われる独特の風土と共生した記憶を留めるものが多く、水切り瓦や土佐漆喰を持つ建物は、こうした暮らしの名残でもある。土佐漆喰は、稲の藁を短く切断した「スサ」を発酵させ石灰と混ぜ合わせたもので、耐水性がよいだけでなく湿度の高い室内においては空調作用を持つといわれ、高知県以外では製造されていない。久礼においては昭和40年代頃から建築の更新が進み、新築家屋の多くが四万十川流域の良質の木材と技術を使って建造されたが、土佐漆喰を持つ建物は失われた。 明治35年(1902)には久礼、上(かみ)ノ加(か)江(え)、矢井賀の三つの漁業組合が設立され、戦後には木材関連事業に変わって鰹漁が久礼の中心的な産業へと発展する。昭和47年(1972)頃には最盛期を迎え、漁港整備とともに市街地の拡大が行われた。漁師町の存在は16世紀の検地帳の中ですでに確認することができるが、鰹漁とともに昭和の発展期に拡大、積層して形成された現在の町並みから近世の姿を読み取ることは困難である。しかし、家屋が密集する庶民的な地区の中には、漁の安全を祈願する祠とともに、塩干しの魚や玄関脇の流しで魚をさばく人々の暮らしを見ることができる。鰹は身が弱く、網などで大量に漁獲すると傷がつく。このため、土佐や紀州においては、伝統的な漁法として一本釣りが行われてきた。一本釣り漁船は、近海漁を対象とする中型船と沿岸で漁を行う小型船に大別されるが、久礼における近海漁は3月初旬から11月中旬にかけ黒潮に乗って北上する鰹を捕り、冷凍せずに太平洋の漁港に水揚げを行う。久礼沿岸部では、一本釣りに餌として使用する鰯等の養殖が盛んである。 このように、「久礼の港と漁師町の景観」は、中近世に繁栄した港を核として形成された市街地が、鰹漁とともに発展した漁師町や漁港と相まって形成される文化的景観である。近年、鰹漁の減少とともに、久礼の港を基盤とする伝統的な文化を見直し、地域の個性を高めようとする動きがある。こうした中、今回、文化的景観保存調査を通じて価値が明らかとなり、文化的景観保存計画に基づき保護の方針が固まった久礼地区を重要文化的景観として選定し、保存・活用を図ろうとするものである。