国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要文化的景観
主情報
名称
:
東草野の山村景観
ふりがな
:
ひがしくさののさんそんけいかん
地図表示▶
解説表示▶
種別1
:
重要文化的景観
種別2
:
面積
:
2365.5 ha
その他参考となるべき事項
:
選定番号
:
選定年月日
:
2014.03.18(平成26.03.18)
追加年月日
:
選定基準
:
所在都道府県
:
滋賀県
所在地(市区町村)
:
滋賀県米原市
解説文:
詳細解説
東草野は,滋賀県の北東部に位置する伊吹(いぶき)山地の西麓に所在し,姉川上流の谷部に形成された山村である。峠を介し,隣接する岐阜県旧坂内村や滋賀県旧浅井町等との流通・往来が古くから盛んであったことは,例えば県境を越えて行われる「廻(まわ)り仏(ぼとけ)」など習俗に表れている。
当地は西日本屈指の豪雪地であり,冬季には集落内でも約3mに及ぶ積雪となる。そのため,民家はカイダレと呼ばれる長い庇(ひさし)を備えており,軒下に積雪時も使用可能な作業場を確保するほか,敷地内に設えられたイケ・カワト等は消雪に用いられるなど,豪雪に対応した生活の在り方が認められる。当地の基本的な生業は農業であるが,甲津原(こうづはら)の麻織,曲谷(まがたに)の石臼,甲賀(こうか)の竹刀など,冬季を中心とした特徴的な副業が集落ごとに発達した。また,東草野の最南部に位置する吉槻(よしつき)は南北及び東西の交通路の結節点であり,行政施設・商店等が集積する中心地として機能してきた。
このように,東草野の山村景観は,滋賀県北東部の姉川上流において,峠を介した流通・往来によって発達した景観地で,カイダレなど独特の設備を備えた民家形態や,集落ごとに発達した副業など,豪雪に対応した生活・生業によって形成された文化的景観である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
東草野は,滋賀県の北東部に位置する伊吹(いぶき)山地の西麓に所在し,姉川上流の谷部に形成された山村である。峠を介し,隣接する岐阜県旧坂内村や滋賀県旧浅井町等との流通・往来が古くから盛んであったことは,例えば県境を越えて行われる「廻(まわ)り仏(ぼとけ)」など習俗に表れている。 当地は西日本屈指の豪雪地であり,冬季には集落内でも約3mに及ぶ積雪となる。そのため,民家はカイダレと呼ばれる長い庇(ひさし)を備えており,軒下に積雪時も使用可能な作業場を確保するほか,敷地内に設えられたイケ・カワト等は消雪に用いられるなど,豪雪に対応した生活の在り方が認められる。当地の基本的な生業は農業であるが,甲津原(こうづはら)の麻織,曲谷(まがたに)の石臼,甲賀(こうか)の竹刀など,冬季を中心とした特徴的な副業が集落ごとに発達した。また,東草野の最南部に位置する吉槻(よしつき)は南北及び東西の交通路の結節点であり,行政施設・商店等が集積する中心地として機能してきた。 このように,東草野の山村景観は,滋賀県北東部の姉川上流において,峠を介した流通・往来によって発達した景観地で,カイダレなど独特の設備を備えた民家形態や,集落ごとに発達した副業など,豪雪に対応した生活・生業によって形成された文化的景観である。
詳細解説▶
詳細解説
滋賀県の北東部では、県内最高峰である伊吹(いぶき)山(標高1377m)をはじめ標高900m~1200mの山々が連なる伊吹山地が、岐阜県との県境を成している。その西麓では、琵琶湖に注ぐ一級河川の一つである姉川(あねがわ)が、深い渓谷を形成しながら南流する。谷底のわずかな平坦地では、甲(こう)津原(づはら)・曲(まが)谷(たに)・甲賀(こうか)・吉槻(よしつき)の4集落が展開しており、合わせて東草野地域を形成している。 この地域が古くから隣接する地域と峠道を介して密接につながってきたことは、当地に伝わる石造物・信仰形態・建造物等の様式によってよく示されている。特に、新穂(しんぽ)峠・国見峠を介した岐阜県旧坂内村・旧春日村(いずれも現在は揖斐川町)とのつながり及び七曲(ななまがり)峠を介した滋賀県旧浅井町(現在は長浜市)とのつながりなど、東西方向の交流がかつて強固であったことは、明治16年(1883)に姉川沿いの道路が整備されて以降、現在に至るまで南北の交通路が主要となっていることと対比される。 峠の麓に位置し流通・往来の結節点として機能した吉槻集落は、行政施設・商店等が集中する中心地として栄えた。吉槻に至る峠道には地蔵が多数立地するほか、集落内に多数分布する中世~近世期の阿弥陀仏は墓標として造られたと考えられ、往時の活況を示している。また、真宗信仰のうち顕如(けんにょ)・教如(きょうにょ)に関わる「廻り仏」法要では、甲津原、広瀬・坂本(岐阜県揖斐川町)、吉槻の順に峠を越えて絵像を行き来させるほか、曲谷・甲賀では福井・石川・岐阜で盛んな白山信仰が確認されるなど、県境を越えた広域の信仰圏が成立している。さらに、積雪時に主屋の入口機能を確保するためのカイダレや、装飾を凝らした大型の持(もち)送(おく)りなど民家の建築様式は、旧浅井町の他地域及び旧坂内村・旧春日村と共通する。 当地では、冬季に日本海を渡った北西の季節風が伊吹山地に衝突するため、大量の降雪が見られる。毎年約3mの最深積雪を記録するなど、東草野地域は、西日本有数の豪雪地として位置付けられる。そのため、豪雪に適応した住環境上の工夫が見られる。例えば、民家の多くは融雪の利便性から棟を南北に向けつつ、南側に入口を設けて積雪時の出入りを確保している。主屋の入口に半間又は一間の腕木を出し、腕木の先に出桁を乗せて庇を受け、軒下に広い空間を設けるカイダレや、厚さ80mm、奥行き790mm、高さ900mmに及ぶ大型の持送りを有した民家が多いのも、豪雪に備えた建築様式と考えられる。また、集落内に巧みに張り巡らされた水路(カワ・サワ・ユカワなどと呼ばれる)及びその水を貯めたイケ・カワトなどは融雪に用いられるほか、麻織の工程にも欠くことのできないものであった。 豪雪地という気候上の特性は、各集落に独特の副業を育んだ。甲津原では、冬場の麻織が盛んであった。稲刈りの後に麻を蒸し、薄く剥いだ苧(お)を用意する。積雪があると苧を割いて繊維を作り、糸を撚り、布を織る。布は雪でさらして白くするなど、雪と深く結びついた生業が展開された。また、曲谷では明治期にほとんどの世帯において石材加工が行われた。雪のない時期に近隣の山中から切り出した花崗岩を、各戸の作業小屋で石臼等に加工していたとされる。山中には現在も石切り場の遺構が残るほか、集落内では、未成品と思われる石臼を、蔵の置き屋根の下の緩衝材、石垣・階段の石材として用いており、特異な集落景観を成している。他の集落でも、雪に閉ざされる冬季は様々な生活道具を作る時期であり、藁(わら)小場(こば)と呼ばれる小屋に集まってワラジ・ゾウリ・ワラグツ・カンジキ・ミノが作られたほか、例えば甲賀の名産である竹刀は、京都・安曇川等から原料を仕入れ、製品は名古屋へ出荷しており、広域での流通が成り立っている。 このように、東草野の山村景観は、滋賀県北東部の姉川上流において、峠を介した流通・往来によって発達した景観地で、カイダレなど独特の設備を備えた民家形態や、集落ごとに発達した副業など、豪雪に対応した生活・生業によって形成された文化的景観である。西日本屈指の豪雪地における生活・生業の在り方を示す景観地であり、我が国民の生活・生業を理解するため欠くことができないことから、重要文化的景観に選定し、保存・活用を図るものである。