国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
延暦寺
ふりがな
:
えんりゃくじ
棟名
:
文殊楼
棟名ふりがな
:
もんじゅろう
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸中期
年代
:
寛文8
西暦
:
1668
構造及び形式等
:
三間一戸二階二重門、入母屋造、銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02649
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2016.07.25(平成28.07.25)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
滋賀県大津市坂本本町、同坂本四丁目
保管施設の名称
:
所有者名
:
延暦寺
所有者種別
:
寺院
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
延暦寺は天台宗総本山寺院で,境内は比叡山上の東塔,西塔,横川の三塔,山麓の坂本に展開し,元亀2年(1571)の織田信長による焼き討ち後,豊臣秀吉からの寄進を契機に諸堂が再建された。文殊楼は上層内部に仏堂としての構えをもつ二重門である。浄土院は開祖最澄を祀る一郭で,華やかな意匠の御廟や大型の拝殿など,開祖の廟所らしい荘厳な境域を創出する。四季講堂は伝統的な平面構成と近世的な装飾美を兼備した堂で,御廟拝殿とともに横川における元三大師信仰の中枢を担う。天海を祀る慈眼堂は重厚な趣の禅宗様仏殿で,坂本の中核をなしている。
これらの17世紀に三塔及び坂本で整備された堂舎群は,いずれも優秀かつ特徴的な意匠を備えており,比叡山全域における江戸時代前期再興の様相を示すものとして,高い歴史的価値を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
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解説文
延暦寺は天台宗総本山寺院で,境内は比叡山上の東塔,西塔,横川の三塔,山麓の坂本に展開し,元亀2年(1571)の織田信長による焼き討ち後,豊臣秀吉からの寄進を契機に諸堂が再建された。文殊楼は上層内部に仏堂としての構えをもつ二重門である。浄土院は開祖最澄を祀る一郭で,華やかな意匠の御廟や大型の拝殿など,開祖の廟所らしい荘厳な境域を創出する。四季講堂は伝統的な平面構成と近世的な装飾美を兼備した堂で,御廟拝殿とともに横川における元三大師信仰の中枢を担う。天海を祀る慈眼堂は重厚な趣の禅宗様仏殿で,坂本の中核をなしている。 これらの17世紀に三塔及び坂本で整備された堂舎群は,いずれも優秀かつ特徴的な意匠を備えており,比叡山全域における江戸時代前期再興の様相を示すものとして,高い歴史的価値を有している。
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詳細解説
延暦寺 一一棟 文殊楼、山王社、浄土院伝教大師御廟、浄土院唐門、浄土院拝殿、阿弥陀堂鐘楼、西塔鐘楼、四季講堂、元三大師御廟拝殿、横川鐘楼、慈眼堂 滋賀県大津市 宗教法人 延暦寺 延暦寺は滋賀県と京都府の境をなす比叡山上に広大な境内を展開する天台宗総本山寺院で、最澄により延暦七年(七八八)に開創された。最澄により九院・十六院の壮大な山上伽藍整備が構想され、三代座主円仁(七九四~八六四)や五代円珍(八一四~八九二)らがこれを継承して境内が整えられ、一八代良源による天禄三年(九七二)の横川再整備により、東塔、西塔、横川の三塔体制が確立した。境内は元亀二年(一五七一)の織田信長の焼討ちにより壊滅的な被害を被るが、天正一二年(一五八四)に豊臣秀吉の伽藍再興許可により復興に着手した。当初は常行堂及び法華堂などを再建するほか、旧園城寺弥勒堂の転法輪堂としての移築転用などにより境内を整えた。慶長一二年(一六〇七)に東塔南光坊に入った天海が復興に尽力し、寛永一七年(一六四〇)に根本中堂が再建された。天海はその三年後に没するが、その後の半世紀で境内の主要堂宇が整えられた。 境内は根本中堂と大講堂を中心とした東塔、その北西、主稜線の西に広がる西塔、北東の横川、里坊群を擁して栄えた坂本に大別される。東塔では、東面する根本中堂の東の台地に文殊楼を構え、参道の石段下に山王社を東向きに配する。東塔西谷では東面する阿弥陀堂前に鐘楼を建て、さらに西側の尾根上に開祖最澄を祀る浄土院を構える。西塔は常行堂及び法華堂と転法輪堂を石段の上下に配して核となし、転法輪堂北方山上に相輪橖、南斜面上に鐘楼を建て、また北の飛地に焼討ちを免れた瑠璃堂が残る。横川は、横川中堂の東側に四季講堂を中心とした一郭を構え、また北側の山の裏手に良源(元三大師)の廟所を配する。坂本は日吉大社や里坊などからなり、里坊群は大津市坂本伝統的建造物群保存地区(平成九年一〇月三一日付け選定)として保護が図られ、慈眼堂は地区の南西寄りに位置する。 山内では根本中堂[寛永一七年(一六四〇)]が国宝、根本中堂廻廊(寛永一七年)、転法輪堂[貞和三年(一三七四)]、戒壇院[延宝年間(一六七三~八〇)]、瑠璃堂(室町後期)、相輪橖(明治二八年)、常行堂及び法華堂[文禄四年(一五九五)]、大講堂(旧東照宮本地堂、寛永一一年建立、昭和三八年移築)が重要文化財に指定されている。また延暦寺境内が昭和九年三月一三日付けで史跡に指定されている。 阿弥陀堂鐘楼は昭和三八年八月二一日付け、四季講堂は同四二年九月二九日付け、慈眼堂は平成一八年三月一七日け、文殊楼、山王社、浄土院伝教大師御廟、唐門、拝殿、元三大師御廟拝殿は平成二六年一月一九日付けで、滋賀県指定有形文化財となっている。 文殊楼は、常坐三昧の道場として貞観八年(八六六)に創建された常坐三昧院を端緒とするが、焼失・再建を繰返し、現在の建物は『天台座主記』などの史料により寛文八年(一六六八)火災後の再建である。東面し、三間一戸二階二重門、入母屋造、銅板葺である。平面は、下層中央間を四半石敷の通路とし、両脇間は床張で各西室に階段を設ける。上層は桁行三間、梁間二間で四周に禅宗様高欄付の切目縁を廻らせ、内部は中央間西側に須弥壇を置いて文殊菩薩像を安置する。軸部は切石礎石に立てる上粽付円柱を貫で固め、上層柱に切目長押と台輪をまわし、内部柱二本は下層から上層小屋組まで建て登らせる。組物は、下層は大斗実肘木、上層外部は出組詰組として手先の肘木を雲斗栱風とし、内部は出三斗に作る。柱間装置は、下層東面両脇間は花頭窓、通路両側面は舞良戸引違、その他は横板壁とする。上層の正面中央間を板唐戸両開、その他は連子窓とする。軒は、下層一軒繁垂木、上層二軒繁垂木とし、妻飾は豕扠首である。天井は上下層とも鏡天井とする。外部全体に赤色塗を、上層組物に白色の木口塗を施し、花頭窓を黒漆塗とする。内部は素木である。文殊楼は、重要な修行場としての機能と、根本中堂正面の門としての性格を兼備した建物である。 山王社は、最澄構想の九院の一つ、定心院の鎮守社と伝え、現在の社殿は史料により慶安二年(一六四九)建立と考えられる。三間社流造、銅板葺で、庇を前室として囲み、一間向拝を付ける。正側面に廻らす縁の身舎部分を高めて刎高欄を付し、背面側に脇障子をたて、正面に木階三級を設ける。身舎内部は一室とし、宮殿を納める。軸部は、身舎は円柱、庇は面取角柱を礎石上に立て、長押と頭貫で固める。組物は、身舎、庇とも三斗、向拝のみ連三斗として中備に蟇股を置く。柱間装置は、身舎では正面中央間の幣軸構に板唐戸を開く他は横板壁とする。庇は正面柱間に中敷居を入れて菱格子をたて、両側面は板戸引違とする。軒は二軒繁垂木で正面中央間は打越垂木とし、妻飾は豕扠首である。山王社は、県内の神社本殿に多い特徴的な形式をもつとともに、延暦寺山内に現存する鎮守社として規模最大である。 浄土院境内は南面し、参道奥に拝殿、唐門、伝教大師御廟を一直線に並べる。 伝教大師御廟は、棟札写しなどにより寛文二年の建立とわかり、方三間、一重、宝形造、瓦棒銅板葺である。内部は入側柱四本を亀腹基壇上に立てて方一間の内陣とし、周囲を四半石敷とする。内陣内部は整型石敷で中央に厨子を据えて伝教大師像を安置し、内陣周囲に禅宗様高欄付の榑縁を廻らす。軸部は粽付円柱を石製礎盤に立て、地覆、貫、台輪で固め、入側柱の柱頭と側柱上の大斗を虹梁で繋ぐ。組物は、側通り外側は尾垂木付三手先の詰組、内側と入側通は出組詰組とする。柱間装置は、側通りは四面とも中央間を桟唐戸両開、両脇間は花頭窓とし、内部は内陣の四面とも両折桟唐戸をたて、内外ともに四面同一とする。入側通りの架構は虹梁中央に蟇股を置き、大斗三斗を介して天井桁を受け、その外側を化粧屋根裏、内側と内陣を格天井とし、蟇股に梵字や草花を彫る。軒は二軒繁垂木で、隅尾垂木と化粧隅木の間に猿彫刻を挟み、屋根頂部に宝珠を戴く。塗装は、柱と壁板、組物、化粧垂木等を赤色塗、桟唐戸と花頭窓框等を黒漆塗、同連子を緑青塗とする。全体を濃厚な禅宗様でまとめ、求心性の高い形式をもち、開祖廟所に相応しい荘厳な堂である。 唐門は、史料等により寛文六年には建立されていたと考えられ、一間一戸向唐門、銅板葺である。本柱は粽付円柱を礎盤上に立て、控柱は面取角柱で、本柱頂部を木鼻付頭貫で、控柱上部をこれと同高の貫で繋ぐ。組物は本柱に三斗を据え、控柱上は肘木を輪薙込とし、正背面の虹梁と桁を受ける。虹梁中央に大瓶束を立て、頂部に組物を据えて化粧棟木を受ける。虹梁下には蟇股を納める。建具は本柱に桟唐戸を両開きに吊る。化粧垂木は茨垂木で、破風板に兎ノ毛通を飾る。 拝殿は、棟札写し及び擬宝珠銘から寛文二年建立とわかる。桁行五間、梁間三間、入母屋造、銅板葺で、正背面中央に軒唐破風を付け、周囲に切目縁を廻し、南・東・北面中央に石階を設ける。内部は虹梁を四筋渡して柱を省き、板敷の広い一室とし、口字形に畳を敷き廻す。軸部は面取角柱を長押と頭貫で固め、頂部に台輪を廻らす。組物は出組、中備を蓑束とするが、軒唐破風部分は、中備を「竹に虎」を彫る蟇股とし、妻を虹梁大瓶束として笈形を付す。天井は、虹梁中央に花鳥彫刻の蟇股を据えて天井桁を受け、格天井を張る。柱間装置は、各面中央間を両折桟唐戸、その他は半蔀とし、各間とも室内側を明障子引違とする。軒は二軒繁垂木で、妻飾は虹梁大瓶束に葉紋の笈形を飾る。蟇股、大瓶束、笈形に彩色を施し、建具は黒漆塗で、正背面両端間の蔀下段内面に狩野永真による獅子を描く。規模の大きな拝殿で、平明な堂内空間と華やかな細部を兼備する。 阿弥陀堂鐘楼は、寛永一一年頃に坂本の東照宮境内に建てられ、昭和三八年に東照宮本地堂を山上へ移築して大講堂とした際に併せて移された。桁行一間、梁間一間の吹放し形式で、切妻造、銅板葺である。石製礎盤に円柱を内転びに立てて貫で固め、三斗で虹梁と桁を受け、中備を蟇股とする。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁大瓶束で草花の笈形を飾る。細部意匠は大講堂や日吉大社末社東照宮社殿と酷似し、江戸時代初期の特徴を示す。 西塔鐘楼は史料により貞享年間(一六八四~八八)の建立とみられる。桁行一間、梁間一間、東西棟の切妻造、銅板葺である。面取角柱を内転びに立て、各面の本柱の内側に脇柱を立てて貫で固め、本柱上の三斗で虹梁と桁を受け、脇柱上の大斗に雲斗栱風の肘木を載せて本柱の頭貫を受ける。中備は、平側は蟇股、両妻は三斗とする。軒は二軒繁垂木で妻虹梁に蟇股をおいて棟木を受ける。全体を赤色塗装し、絵様などに墨を差す。 四季講堂は良源を祀る堂で、春夏秋冬に法華経を講義したことに因む名をもち、元三大師堂とも称される。史料により承応元年(一六五二)の建立とわかり、南東に面し、桁行五間、梁間四間、入母屋造、瓦棒銅板葺である。平面は、三間四方の内陣の両側に脇陣、前面に梁間の広い外陣を配し、左脇陣を阿弥陀堂、右脇陣を護摩堂とする。内陣背面に仏壇を三所並べ、中央の厨子に元三大師の御真影を掲げる。軸部は、内陣廻りは円柱を小屋梁まで建て登らせ、側廻りは面取角柱とし、いずれも長押を廻らせる。側廻りは柱上に出三斗を組み、中備は正面各間に蟇股、他を間斗束とする。内陣は格天井、他は棹縁天井とする。柱間装置は、内陣と外陣の正面中央間に両折桟唐戸をたて、内陣両側面に舞良戸をたてるなど厳格に結界し、側廻りは外陣正面両脇間を半蔀、両端間を舞良戸をたてる。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁蟇股である。内陣は、軸部を漆塗とし、柱に金襴巻、内法長押に雲紋に龍、小壁に鳳凰や天女などを描き、天井の格間には金地に丸紋や植物を採画するなど濃密な装飾を施す。伝統的な平面形式を踏襲しつつ、建登せ柱や荘厳な内陣装飾など近世的な特徴を備える。厨子は、寄棟造、軒唐破風付、板葺で、細部絵様から一七世紀後期頃の製作とみられる。 元三大師の廟所は、御廟と前面の拝殿、その間に建つ石鳥居などからなる。御廟拝殿は延宝年間(一六七三~八一)の建立とみられ、桁行四間、梁間三間、寄棟造、向拝一間、シングル葺である。三間四方の拝所の正面中央間に向拝を付け、左手に張り出す桁行一間分を前後二室に区画した平面をもち、正面に切目縁を設ける。軸部は面取角柱に舟肘木を据えて軒桁を受ける。拝所は板敷の一室で柱を立てず、化粧屋根裏とし、正面各間と背面中央間に板唐戸をたて、他を横板壁とする。御廟は石造の瑞垣で四周を囲み、正面に向唐門風の石門を構える。 横川鐘楼は横川中堂東方の参道脇に東西棟で建つ。史料により貞享四年の建立とわかり、桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、桟瓦葺である。西塔鐘楼とほぼ同規模同形式であるが、虹梁や頭貫木鼻の絵様に差異が認められる。 慈眼堂は滋賀院の南西に位置する天海を祀る堂で、史料により正保三年(一六四六)の建立とわかり、桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、桟瓦葺である。堂内は四半石敷で、中央間の第三柱筋に来迎壁を設けて禅宗様須弥壇を置き、厨子に慈眼大師像を安置する。軸部は粽付円柱を木製礎盤に立てて貫で固めて台輪を廻らし、来迎壁の両脇間のみ虹梁大瓶束を架ける。組物は三斗詰組として実肘木で軒桁と内部の天井桁を支持し、堂内一面に小組格天井を張る。側廻りの柱間装置は、四面とも中央間に桟唐戸を開き、両脇間に花頭窓を設け、他を横板壁とする。軒は二軒繁垂木で、屋根頂部に銅製の露盤、宝珠を戴く。厨子は桁行一間、梁間一間、入母屋造、妻入、軒唐破風付、こけら葺で、禅宗様を基調とし、細部意匠から慈眼堂と同時期の造立とみられる。慈眼堂は軸部の木割が大きく重厚な趣を呈する禅宗様仏殿である。 開祖最澄を祀る浄土院をはじめ、中興の祖である良源の廟所や四季講堂、天海を祀る慈眼堂、道場の性質を備えた文殊楼などの諸建築は、根本中堂などの宗教的中枢をなす堂宇の再興に引き続き、一七世紀後期に再建された堂舎群である。延暦寺境内構成の特質である三塔及び坂本に展開する壮大な伽藍の各所において重要な位置を占め、優秀かつ特徴的な意匠を備えており、比叡山全域における江戸時代前期の再興の様相を示すものとして、極めて高い価値を有している。 【参考文献】 『滋賀県の近世社寺建築』(滋賀県教育委員会 一九八六年) 『延暦寺の建築史的研究』(清水擴 二〇〇九年) 『比叡山延暦寺建造物総合調査報告書』(比叡山延暦寺 二〇一三年)