国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
彦根城天守、附櫓及び多聞櫓
ふりがな
:
ひこねじょうてんしゅ、つけやぐらおよびたもんやぐら
棟名
:
天守
棟名ふりがな
:
てんしゅ
天守(南西隅)
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/城郭
時代
:
桃山
年代
:
慶長11
西暦
:
1606
構造及び形式等
:
天守 三重三階、地下階段室・玄関付、本瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00045
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1951.09.22(昭和26.09.22)
国宝指定年月日
:
1952.03.29(昭和27.03.29)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
滋賀県彦根市金亀町
保管施設の名称
:
所有者名
:
彦根市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
天守(南西隅)
解説文:
詳細解説
井伊直政が慶長八年(1603)に佐和山城より居城を移して以来の井伊家代々の居城。天守隅木の墨書や文書から少なくとも慶長十一年(1606)には完成していたと考えられる。壁、軒裏、破風を漆喰で塗り込め、金箔を押した飾り金具や黒漆を多用するなど華麗な意匠が特徴。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
天守(南西隅)
彦根城天守、附櫓及び多聞櫓
天守、附櫓(北面)
天守・附櫓及び多聞櫓(北西隅)
天守・附櫓(西面)
天守(東面)
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天守(南西隅)
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彦根城天守、附櫓及び多聞櫓
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天守、附櫓(北面)
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天守・附櫓及び多聞櫓(北西隅)
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天守・附櫓(西面)
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天守(東面)
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解説文
井伊直政が慶長八年(1603)に佐和山城より居城を移して以来の井伊家代々の居城。天守隅木の墨書や文書から少なくとも慶長十一年(1606)には完成していたと考えられる。壁、軒裏、破風を漆喰で塗り込め、金箔を押した飾り金具や黒漆を多用するなど華麗な意匠が特徴。
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詳細解説
彦根城天守、附櫓及び多聞櫓 二棟 彦根城は井伊家歴代の居城であって、井伊直継(後に直勝と改める)が慶長八年に工を起こし、同十一年(一六〇六)末には本丸及び天守がなり、嗣直孝によって元和八年(一六二二)ほぼ完成をみた城郭である。天守からは慶長十一年の墨書が発見されているが、創築にあたり大津城天守を移建したといわれる。大津城については築造年代も明らかでない。しかし現天守には多数の古材が使用されており、前身平面もほぼ判明するので、この移建説はだいたい認められる。築造後寛政八年(一七九六)屋根修理、天保十二年(一八四一)には補強工事が施され、明治十一年には危うく取り壊しをまぬがれて今日に及んでいる。 天守は三重三階であって、附櫓及び多聞櫓を従えて一郭をなしている。形態はすでに初期天守の形態を脱しており、屋根の各所に軒唐破風及び千鳥破風を設け、あるいは屋根を段ちがいにするなど巧妙な手法を用いており、三階の高欄及び花頭窓も優れた意匠になる。全体としては規模は大きくはないが、桃山時代最盛期の天守であり、形態がよく整い、意匠も優れていて、わが国城郭建築の代表的遺構の一つである。 【引用文献】 『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)