国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧閑谷学校
ふりがな
:
しずたにがっこう
棟名
:
講堂
棟名ふりがな
:
こうどう
旧閑谷学校
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/その他
時代
:
江戸中期
年代
:
元禄14
西暦
:
1701
構造及び形式等
:
桁行19.4m、梁間15.6m、一重、入母屋造、本瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00160
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1938.07.04(昭和13.07.04)
国宝指定年月日
:
1953.11.14(昭和28.11.14)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
岡山県
所在地
:
岡山県備前市閑谷
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
岡山県
旧閑谷学校
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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旧閑谷学校
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旧閑谷学校
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詳細解説
旧閑谷学校講堂 一棟 閑谷学校は寛文六年(一六六六)岡山藩主池田光政が領内庶民子弟教育のためはじめたもので、光政自身巡検でこの地の閑静を愛で、津田永忠に命じて同八年手習所を設けて発足した。永忠は食堂・学房・講堂・聖堂などを建てて施設の充実を計り、延宝三年(一六七五)には同時期に開設した諸郡の手習所を廃止して閑谷へ統合した。しかしこれらはなおお粗末であったので、さらに貞享元年(一六八四)に新聖堂、同三年に烈祠堂を建て、講堂も元禄十四年(一七〇一)に再築、上棟した。これが現在の建物で、この年四周の石塀も築かれている。講堂・小斎・習芸斎・文庫が集中する学舎を中心に、東の小高い位置に聖廟と芳烈(現閑谷神社)を並列し、西方には小丘をへだてて学房(県現教育センター)を配した構成は、郷学とはいいながら当時の藩学をしのぐ規模をもち、江戸時代の学校建築としては最古かつ最もよく整った遺構である。 講堂は三間×二間の母屋の周囲に広い庇をめぐらし、その外に幅一・七メートルほどの縁を設けた形で、縁は外周に柱を立て通常は吹放しで夜間のみ雨戸を閉じる。母屋、庇とも同高の拭板敷で、境に無目敷居を入れる。庇の外周は各面とも中央だけ扉で他は大きな花頭窓を並べ、学校建築らしい清々しさと儒教的雰囲気をもつ。屋根は錣葺で二段に葺くが、全体の規模が大きく妻飾も塗籠るので、城郭内の館のごとく堂々とした外観である。瓦を備前焼とし、野地に厳重な防水施工をするのは他に例がなくめずらしい。 【引用文献】 『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)
関連情報
附指定
壁書
丸瓦
関連情報
附指定
附名称
:
壁書
附員数
:
1枚
関連情報
附指定
附名称
:
丸瓦
附員数
:
1枚