国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
厨子入木造大黒天立像
ふりがな
:
ずしいりもくぞうだいこくてんりゅうぞう
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員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
南北朝
年代
:
貞和3年
西暦
:
1347
作者
:
快兼
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
厨子内に貞和三年七月、大行事法眼玄重、仏師法橋快兼、彩色并図像大仏師法橋観慶等の記がある
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3532
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2006.06.09(平成18.06.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市上京区下長者町通新町西入藪之内町85番4
保管施設の名称
:
国(文化庁)
所有者名
:
国(文化庁)
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
治承4年(1180)に焼失した東大寺食堂を再建し、そこに安置しようという意図のもとに製作された大黒天像。厨子内の長文の銘によると、貞和2年(1346)、東大寺大行事玄重が伊勢神宮で夢に見た大黒天を、仏師快兼に造立させ、大仏師観慶に厨子絵を描かせ、翌3年に開眼供養したという造像の具体的経過が分かる。快兼は他に事績が知られないが、観慶は奈良で活躍した絵仏師である。食堂は実際には再建されなかったが、その計画の一環として製作されたことの知られる重要な作品である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
治承4年(1180)に焼失した東大寺食堂を再建し、そこに安置しようという意図のもとに製作された大黒天像。厨子内の長文の銘によると、貞和2年(1346)、東大寺大行事玄重が伊勢神宮で夢に見た大黒天を、仏師快兼に造立させ、大仏師観慶に厨子絵を描かせ、翌3年に開眼供養したという造像の具体的経過が分かる。快兼は他に事績が知られないが、観慶は奈良で活躍した絵仏師である。食堂は実際には再建されなかったが、その計画の一環として製作されたことの知られる重要な作品である。
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詳細解説
袋を左肩に掛けて背負う通形の大黒天像で、四柱造【しちゅうづくり】の黒漆塗厨子に安置される。厨子内壁に貼り付けられた「東大寺食堂【じきどう】造営感夢【かんむ】記」によって造像事情が知られる。すなわち本像は東大寺食堂再建のための勧進を行うにあたり造立されたもので、造営修理を任務とする寺内機関である油倉の大行事玄重【げんじゅう】および知事道俊房【どうしゅんぼう】のみた夢を契機として発願され、用材は道俊房が勧進の祈請のため参籠していた伊勢において外宮禰宜度会家行【げくうねぎわたらいいえゆき】により提供された霊木で、貞和三年(一三四七)に油倉で開眼供養されたという。同記には道俊房が外宮で二尺余りの黄装束の大黒天を感得したことが述べられ、本像の大きさと彩色はこれに一致する。作者として記される法橋快兼【ほっきょうかいけん】は他に事跡が知られない。 像は針葉樹(ヒノキか)材の寄木造、彩色仕上げになる。頭躰を別材製とし、頭部は大略前後三材製で最前材から面部を割り離して玉眼を嵌入し、躰部襟際に首枘差とする。躰部は正中線で左右二材を矧ぐ。肉身は青色で、狩衣と袴を薄黄色に彩るのは「感夢記」のいう黄装束にあたる。衣には金泥で三弁宝珠を主要モチーフとする文様を描き、袋にはやはり金泥描で宝珠を含む諸宝を散らす。 短軀で頭部の大きい躰型や俵座に立つ点に、やや先行する聖衆来迎寺像(暦応二年〈一三三九〉)とともに当代における大黒天の像容の新たな展開を示すが、同像に比べると笑相が明瞭に表れておらず、そこにいわば過渡期的な様相も認められる。彫り口はやや硬いが堅実で、破綻もなく像容が表現されており、快兼が一定の技量をもつ仏師であることがうかがえる。 厨子内は後壁に絹本著色の千手観音立像を貼り付け、左右側壁はそれぞれ上部には円相内の三茎の蓮華と如来坐像を彩画し、下部には紙本墨書になる「感夢記」を貼り付け、左右扉には二十八部衆像を彩画する。これらは「感夢記」により法橋観慶【かんけい】が描いたことが知られる。千手観音像は同記によれば食堂本仏を表したものというが、着衣の切金文様の種類や光背の意匠が戒壇院千手堂の千手観音立像(重文)と一致する。蓮華と如来像は同記に述べる玄重の夢にあらわれた「両宮神躰」の図であるが、後者の形姿が大仏を思わせるのが興味深い。南都絵仏師の手になる当代の基準作として注目される。 本像は小品ながら、大黒天像の変遷をたどるうえで欠かせない作例であり、東大寺の造営史ならびに神仏交渉史における意義も大きい。