国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造高峰顕日坐像
ふりがな
:
もくぞうこうほうけんにちざぞう
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3560
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.07.10(平成21.07.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
栃木県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
雲巌寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
雲巌寺の開山で、建長寺ほか鎌倉諸寺の住持を歴任した高峰顕日(1241~1316)の像。容貌は正和4年(1315)の神奈川正統院像(重要文化財)より若く、彫り口も精彩に富んでおり、製作時期は同像より遡る可能性が高い。当代頂相彫刻の傑作である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
雲巌寺の開山で、建長寺ほか鎌倉諸寺の住持を歴任した高峰顕日(1241~1316)の像。容貌は正和4年(1315)の神奈川正統院像(重要文化財)より若く、彫り口も精彩に富んでおり、製作時期は同像より遡る可能性が高い。当代頂相彫刻の傑作である。
詳細解説▶
詳細解説
那須雲巌寺は高峰顕日が若年期に隠棲して以来、その本拠地とした寺院であり、以後高峰は二度にわたり鎌倉に請ぜられて浄妙寺、万寿寺、浄智寺、建長寺と官刹の住持を歴任した後、正和四年(一三一五)に本寺に戻り、翌年示寂している。本像は開山像として祀られるその等身像である。 檜材の割矧造で、玉眼を嵌入する。構造は頭体幹部を通して一材より彫出、両耳後を通る線で前後に割り矧ぐ。面部を割って玉眼嵌入。襟際で頭体を割り離す。背面下半、両肩外側部、両足部、衣垂下部(正面一材、左側面一材、右が大略三材)等を矧ぐ。体部内刳は像底に抜け、底板前後二材を張る。表面は布貼錆下地黒漆塗彩色。袈裟の条葉は青で、田相は不明色地に金泥による鳳凰・飛雲・松竹梅散らし文が認められる。曲彔(木製錆下地黒漆塗仕上)は背板の上部に輪宝、下部に格狭間を透彫し、肘掛は蕨手とする。 右手に竹蓖を執り、左手は膝上に伏せて坐る姿は示寂の前年に造られた神奈川・正統院像(重要文化財)や、本寺蔵の自賛像(重要文化財)をはじめとする全身画像と同様で、小鼻がふくらんだ特徴的な面貌もそれらと共通するが、左足を前にし、膝を持ち上げて安坐する坐法は、高峰像に限らず類例をみない。 頭部は骨格をよく踏まえ、玉眼を効果的に用い、頬から顎にかけ微妙な肉付けを施して、生彩に富んだ面貌を表している。著衣は大きな面の組み合わせにより立体感が与えられている。左膝を持ち上げる動きに対応して左臂を外に張り、左腕に掛かる袈裟の末端を長めに垂らすことで全体の均衡をはかる巧みな処理も注目される。その造形には末だ鎌倉盛期のよさがとどめられており、製作年代は像主の生存中、それも晩年には至らぬ時期とみるべきであろう。正安二年(一三〇〇)に本寺を離れ浄妙寺住持に就任したのは本像造立の契機として有力視される。正統院像の頬の落ちた老貌に比べて若々しい顔立ちも、六〇歳に当たるそのころのものとしてふさわしい。 本像は禅宗僧侶肖像彫刻の中でも特に傑出した作例の一つであり、また袈裟の文様まで確認でき、竹蓖(檜材製、錆下地黒漆塗)および曲彔が当初のものをとどめる保存状態の良好さも賞される。