国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造天海坐像康音作
ふりがな
:
もくぞうてんかいざぞうこうおんさく
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
江戸
年代
:
寛永17年
西暦
:
1640
作者
:
康音
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
像内に寛永十七年四月、洛陽七条大仏師法眼康音作の銘がある
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3561
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.07.10(平成21.07.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
栃木県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
輪王寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
徳川家康、秀忠、家光の帰依を受けて活躍した天海(1536~1643)の肖像彫刻。像内の墨書銘から、天海が亡くなる3年前の寛永17年、七条大仏師康音によって造立されたことが知られ
る。その表情には気迫がこもり、江戸時代肖像彫刻の秀作として評価できる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
徳川家康、秀忠、家光の帰依を受けて活躍した天海(1536~1643)の肖像彫刻。像内の墨書銘から、天海が亡くなる3年前の寛永17年、七条大仏師康音によって造立されたことが知られ る。その表情には気迫がこもり、江戸時代肖像彫刻の秀作として評価できる。
詳細解説▶
詳細解説
徳川家康、秀忠、家光の帰依を受けて活躍した天海(一五三六~一六四三)の肖像彫刻で、現在輪王寺護摩堂に安置される。針葉樹材(檜か)の寄木造で玉眼を嵌入する。頭体は別材より造り、頭部は大略前後三材矧、体幹部は僧綱襟を含み一材製で前後に割り矧ぐようである。両肩外側部、両足部、左右に張り出す袖、そのほか突出部を矧ぐ。像底には床板を張る。表面は錆下地をつくり胡粉地彩色を施すが、現状の彩色は台座が造られた文化十年(一八一三)の補彩である。 近年の修理で発見された像内の墨書銘(「日光山開山/山門三院執行探題/大僧正天海之像/洛陽七条大仏師法眼/康音作焉/寛永十七庚辰歳/四月十七日」)から、天海が亡くなる三年前の寛永十七年(一六四〇)に七条【しちじょう】大仏師康音【こうおん】によって造立された寿像であることが知られる。康音は七条仏所第二三代で、『本朝大仏師正統系図井并流』によると、日光をはじめとする各所の東照宮など、江戸幕府関係の造像を中心に活躍したことが知られる。特に寛永十六年の徳川家康二十五回忌に際しては天海の指導の下にその本尊(金剛界大日、愛染明王、五大尊、十二天、羅睺星、傳大士、童子、維摩)を製作している(天海筆「日光山東照宮大権現廿五回忌御本尊目録」)。そのとき製作された本尊のうち、五大尊は中禅寺五大堂、十二天は輪王寺護摩堂、羅睺星、傳大士および二童子は東照宮輪蔵、維摩は輪王寺法華堂にそれぞれ現存する像に当たると推定されるが、いずれも衣文の質感表現に優れた堅実な作風を示し、康音の仏師としての資質の高さが看取される。本像は当時一〇五歳に達した天海の姿を実際の年齢よりは若く、理想化してとらえた趣もあるが、その表情には気迫がこもり、寿像にふさわしい豊かな造形性を発揮している。 天海没後七年の慶安三年(一六五〇)に妙心寺の東源によって記された『東叡開山慈願大師伝記』によると、本像が造立された寛永十七年に家光が天海の余命を愛惜したことが知られ、本像の造像に家光が関与した可能性も考慮される。また、同縁起には天海没後、家光が日光、東叡(寛永寺)、坂本(比叡山麓)に天海の影堂を造立したことも記されるが、本像の本来の安置場所を考えるうえで興味深い(ただし、日光の影堂の所在地については不明)。 天海の寿像は本像のほかに寛永十九年の群馬・長楽寺像(東叡山大仏師慶雄作)、同二十年八月の埼玉・喜多院慈願堂像(大仏師式部卿作)があり、滋賀・恵日院像(重要文化財)、東京・寛永寺像(平成元年焼損、同二年度にかけて復元修理)も天海像の秀作として知られるが、本像は最も古く、かつその迫真性において群を抜いている。天海像に限らず江戸時代肖像彫刻の秀作として高く評価される。