国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
宇佐神宮造営図
ふりがな
:
うさじんぐうぞうえいず
解説表示▶
員数
:
3幅
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
鎌倉~室町
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00058
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1990.06.29(平成2.06.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
大分県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
宇佐神宮
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
社寺等の造営に関する指図類で中世に遡る遺例は少ない。本件は宇佐神宮の造営に関する指図で、往事の規模や配置、作図技法等を知ることができる。3図は、(1)鎌倉時代末期頃と考えられる宇佐宮上宮仮殿地判指図、(2)室町時代前期とみられる宇佐宮並弥勒寺造営指図、(3)天文4年(1535)作製の宇佐宮上宮造営指図である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
社寺等の造営に関する指図類で中世に遡る遺例は少ない。本件は宇佐神宮の造営に関する指図で、往事の規模や配置、作図技法等を知ることができる。3図は、(1)鎌倉時代末期頃と考えられる宇佐宮上宮仮殿地判指図、(2)室町時代前期とみられる宇佐宮並弥勒寺造営指図、(3)天文4年(1535)作製の宇佐宮上宮造営指図である。
詳細解説▶
詳細解説
宇佐神宮は、古代以来鎮護国家の神社として厚く崇敬されていたが、中世には度重なる火災にあっている。境内全域に及ぶものは、元暦元年(1184)、延慶2年(1309)、大永3年(1523)などであったが、そのつど社殿の復興が計画され、今回指定の3種の指図<さしず>類はいずれもそれにかかわるものと考えられる。当宮は上宮、下宮、若宮及び弥勒寺等からなり、元慶3年(879)以来33年ごとに式年遷宮を行ったが、その際には正殿と同一規模の仮殿をまず造営し、正殿の神体等をすべて遷した後に正殿の造立にとりかかった。 指図類のうち、宇佐宮上宮仮殿地判<じはん>指図は、上宮の中の御殿、脇殿、北辰殿、申殿を中心に若宮を加えて描いている。各建物の平面は、ヘラ引きした上に柱・扉口・柱筋を朱書きし、雨落などは墨書きし、他にも黄土を塗った部分がある。各建物には名称、規模が書き入れられ、規模は桁行、梁間の間数と各1間の尺寸によって示され、本図の縮尺が100分の1であることが判明する。図中の墨書により、本図は仮殿の指図であることが明らかであるが、その左端の識語には、本図が文治年間以来代々大大工職にあった(小山田)貞遠、国貞、為貞、貞行、貞世と伝来したが、虫損のため貞世の代に新写したとある。貞世は嘉元3年(1305)頃から大大工であり、作図の技法や書風よりみてもこの図は鎌倉時代末期のものと認められる。 他に宇佐宮並弥勒寺造営指図は、守護大内氏によって応永25年(1418)以降になされた復興の際の造営計画図とみられる。また、宇佐宮上宮造営指図は、紙背の墨書によって天文4年(1535)7月の一の御殿造営の時のものであることが判明する。 このように、これらの指図は鎌倉時代から室町時代の宇佐宮・弥勒寺の建物の規模や配置、あるいは当時の作図技法等を知ることができ、中世建築史研究の上で価値が高い。