国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
塩山和泥合水集板木
ふりがな
:
えんざんわでいがっすいしゅうはんぎ
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員数
:
37枚
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
南北朝
年代
:
至徳3
西暦
:
1386
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
至徳三年二月十五日刊記
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00069
枝番
:
1
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1993.06.10(平成5.06.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
向嶽寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
『塩山和泥合水集』は向嶽寺の開山抜隊得勝(1327~87)教えを収録した仮名法語で、その晩年に刊行された。禅宗寺院で開板されたいわゆる「五山版」の板木として残る数少ない例である。『遺誡』は示寂前に弟子に示した33か条を第2世通法明道が開板したもの。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
『塩山和泥合水集』は向嶽寺の開山抜隊得勝(1327~87)教えを収録した仮名法語で、その晩年に刊行された。禅宗寺院で開板されたいわゆる「五山版」の板木として残る数少ない例である。『遺誡』は示寂前に弟子に示した33か条を第2世通法明道が開板したもの。
詳細解説▶
詳細解説
南北朝時代を中心に、禅宗の発展を背景として五山版<ござんばん>の印刷出版が盛行した。五山版とは鎌倉時代から室町時代にかけて、京都五山・鎌倉五山・地方の諸禅院等が刊行した書籍の類である。五山版の刊行は中国版式の影響を受けて、印刷文化に様式的な整備をもたらし、経典が主であった印刷を外典にまで広げ、書籍としての出版へ移行したことを示すもので、わが国の印刷出版文化史上注目すべき事象である。 『塩山和泥合水集』上中下3巻は臨済宗向嶽庵(後に向嶽寺)の開山抜隊得勝が道俗の禅に関する疑問に答えた説示を記したもので、漢字仮名交じり文の仮名法語<かなほうご>である。末尾に「于時至徳三年〈丙寅〉仲春十五日 始之/幹縁比丘明道」の刊記があり、抜隊晩年の至徳3年(1386)に後の向嶽寺第2世通方明道<つうほうみょうどう>の募財により刊行したことを記す。 抜隊得勝は嘉暦2年(1327)相模国に生まれ、出雲雲樹寺<うんじゅじ>の狐峯覚明<こほうかくみょう>の室において開悟し、印可を受けて抜隊の道号を付与された。諸国を行脚した後、甲斐の守護武田信成<たけだのぶしげ>の帰依をうけて、康暦2年(1380)塩山に向嶽庵を開き、多くの道俗を教化した。至徳4年(1387)2月20日、61歳で示寂し、のち恵光大円禅師と勅諡された。ほかに『塩山抜隊和尚語録』や『塩山仮名法語』の著作がある。 「抜隊得勝遺誡」は、「向岳遺誡」という表題をもち、33か条からなる。末尾に「至徳四年〈丁卯〉二月十九日 遺誡 略三十三箇条 向岳守塔比丘明道命工刊版」とあり、抜隊示寂の前日に遺誡を残したという体裁を取るが、実際の開版はそれ以後の通方明道の住持在任中であろう。『塩山向嶽禅庵小年代記』では康応元年(1389)2月24日開版とする。 『塩山和泥合水集』板木は全42枚のうち37枚が現存する。板木の表裏両面に2丁ずつ計4丁を刻するのが原則で、なかには表に2丁あるが、裏面には彫刻しないもの、表裏1丁ずつで横寸法が短いもの等もある。1丁18行(半面9行)、四周単辺で、版心は白黒口、上下魚尾で、書名略称「和泥」と巻数・丁数がある。なかには題簽用外題を刻したもの、彫りかけの板木もある。枠(把手)はかなりのものに残る。「抜隊得勝遺誡」板木は大型で、縦長に材を用い、上下にホゾがあるが、枠は失われている。文字は大ぶりで、表裏それぞれ10行、1行36字である。界線等はなく文字のみを刻する。 五山版に用いた板木で現存するものは少なく、僧侶の遺誡板木も稀で、ともに中世印刷文化と禅宗寺院の教化活動の注目すべき遺品である。