国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造不動明王立像
ふりがな
:
もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
日本
時代
:
平安
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
03456
枝番
:
01
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1996.06.27(平成8.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
長野県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
福満寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
等身の不動明王・毘沙門天の立像で、不動は巻髪で天地眼、牙上下出のいわゆる十九観様の形相で、毘沙門天は左手に宝塔を捧げ持ち、右手で宝棒を持つ姿である。ともにカツラの縦一材より頭体幹部を彫出し、前後に割って内刳(裳底部に抜ける)を施した上で割首を行う。体部背面には上下二材を矧ぐ。こうした構造技法に加え、両像は眼や頬を突起させる癖のある顔立ちが共通し、一具の像として作られたことが明らかである。小振りの頭部で腰高の長身の姿や、穏やかな怒りの表現、浅い彫り口などには平安時代後期の特色が顕著である。その作風には多少洗練を欠くところがあり、在地の仏師の手になることも考えられよう。
本寺にはやはり平安後期の作になる半丈六の薬師如来坐像(重要文化財)が伝わるが、用材が同じカツラであることから、本一具がその脇侍像として造られた可能性も考慮すべきであろう。製作の時期は十二世紀前半と推定されるが、一説に天永三年(一一一二)と伝えられる本寺の創建期の作とみて矛盾がない。
現在、表面が近世に施された粗悪な彩色に覆われているため、像容が著しく損なわれているが、本体の木部は健全で、不動像の岩座の大半や、毘沙門天像の光背や邪鬼なども当初のものを残しており、保存状態は良好である。不動・毘沙門一対の信仰造像は天台に始まり、平安末以降に盛んになったことはよく知られているが、平安時代にさかのぼる例は意外に少なく、本一具はこの種の大型の遺品として貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
等身の不動明王・毘沙門天の立像で、不動は巻髪で天地眼、牙上下出のいわゆる十九観様の形相で、毘沙門天は左手に宝塔を捧げ持ち、右手で宝棒を持つ姿である。ともにカツラの縦一材より頭体幹部を彫出し、前後に割って内刳(裳底部に抜ける)を施した上で割首を行う。体部背面には上下二材を矧ぐ。こうした構造技法に加え、両像は眼や頬を突起させる癖のある顔立ちが共通し、一具の像として作られたことが明らかである。小振りの頭部で腰高の長身の姿や、穏やかな怒りの表現、浅い彫り口などには平安時代後期の特色が顕著である。その作風には多少洗練を欠くところがあり、在地の仏師の手になることも考えられよう。 本寺にはやはり平安後期の作になる半丈六の薬師如来坐像(重要文化財)が伝わるが、用材が同じカツラであることから、本一具がその脇侍像として造られた可能性も考慮すべきであろう。製作の時期は十二世紀前半と推定されるが、一説に天永三年(一一一二)と伝えられる本寺の創建期の作とみて矛盾がない。 現在、表面が近世に施された粗悪な彩色に覆われているため、像容が著しく損なわれているが、本体の木部は健全で、不動像の岩座の大半や、毘沙門天像の光背や邪鬼なども当初のものを残しており、保存状態は良好である。不動・毘沙門一対の信仰造像は天台に始まり、平安末以降に盛んになったことはよく知られているが、平安時代にさかのぼる例は意外に少なく、本一具はこの種の大型の遺品として貴重である。