国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造大日如来坐像
ふりがな
:
もくぞうだいにちにょらいざぞう
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
1296
西暦
:
1296
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
像内に永仁四年九月、大仏師法眼定運等の朱書銘がある
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
03469
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1997.06.30(平成9.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
兵庫県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
宝満寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
高髻を結い、法界定印を結んで坐る等身の胎蔵界大日如来像である。ヒノキ材の寄木造で、頭・体幹部を通して両耳後を通る線で矧ぐ前後二材より彫成し、各内刳を施して三道やや下で割首を行う。両眼は玉眼とする。両肩・臂・手首で各矧ぎ、両手先は通して一材製とする。両足部は横一材製、両膝奥は側面二段および上面の計三材を矧ぐ。髻(三材製)、正・背面の条帛垂下部に各別材を矧ぐ。表面は錆下地に黒漆塗、白下地のうえ肉身部は金泥塗、衣部は盛上文様をまじえた彩色を施している。
像内に永仁四年(一二九六)の年記と、大仏師法眼定運【ほうげんじよううん】をはじめ卿定弁法橋、康意、三河法橋定盛の四人の仏師の名が記されており、造像年代と作者が知られる。仏師のうち定弁、定盛の二名に関しては正和三年(一三一四)に岐阜・長瀧寺釈迦如来及四天王像(現存せず)の造立に携わったことが記録(『長瀧寺真鑑』ほか)により知られ、それらの像を彼らとともに造った慶誉という仏師が弘安四年(一二八一)の長谷寺本尊像の再興に慶派正系の湛康、慶秀らとともに参加していることからすれば、定運らもまた慶派に属する仏師とみてよいであろう。像底を上げ底式に刳り残す構造にもこの派の特徴がうかがえる。
その作風は鎌倉時代盛期を過ぎたこの時代の遺品らしくやや弛緩した感も否めないが、肉付きのよい体躯の象形や太い衣文線には運慶風の名残りが認められ、当代慶派の基準作例として推賞することができよう。
ことに注目されるのは、頭体とも前半材では金箔、後半材では銀箔をそれぞれ内刳面に押す像内の仕上げ法である。像内漆箔は院政期に始まり、鎌倉時代にもしばしば行われた手法であるが、本像と同様の例は知られていない。当代の像内荘厳のありようを考えるうえで貴重な事例といえよう。また像内より口腔を穿って口唇のわずかな隙間に貫通させる仕口も特徴的で、密教の観想法との関連が想像される一方、この時代に造られるようになったいわゆる歯吹阿弥陀像などにも通じるところがある。
銘文は像内漆箔面のほぼ全面にわたり朱書され、造像関係者や各種偈文、諸尊種子などが記される。宝満寺は文永三年(一二六六)に無本覚心(法燈国師)により禅刹に改められたと伝えられるが、和歌山・興国寺法燈国師像(重文)がやはり像内頭部の前面を金箔、後面を銀箔押とし、そこに朱書銘を記すことが注目される。真言密教にも深い造詣を有した覚心が本像の製作に関与していた可能性は十分考えられよう。
附指定の四点はいずれも像内より取り出されたと伝えられる。金剛界大日如来の小像は台座底面の輪郭が、本体の像内胸部に設えられた蓮台の上面にある痕跡と一致する。舎利注文は八人の交名とそれぞれの喜捨した舎利の粒数が記される。また般若理趣経・金剛界礼懺は本像の大勧進として銘文に記される吽日が弘安三年(一二八〇)に書写したものである。いずれも本像の関連資料として逸することのできない品々である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
高髻を結い、法界定印を結んで坐る等身の胎蔵界大日如来像である。ヒノキ材の寄木造で、頭・体幹部を通して両耳後を通る線で矧ぐ前後二材より彫成し、各内刳を施して三道やや下で割首を行う。両眼は玉眼とする。両肩・臂・手首で各矧ぎ、両手先は通して一材製とする。両足部は横一材製、両膝奥は側面二段および上面の計三材を矧ぐ。髻(三材製)、正・背面の条帛垂下部に各別材を矧ぐ。表面は錆下地に黒漆塗、白下地のうえ肉身部は金泥塗、衣部は盛上文様をまじえた彩色を施している。 像内に永仁四年(一二九六)の年記と、大仏師法眼定運【ほうげんじよううん】をはじめ卿定弁法橋、康意、三河法橋定盛の四人の仏師の名が記されており、造像年代と作者が知られる。仏師のうち定弁、定盛の二名に関しては正和三年(一三一四)に岐阜・長瀧寺釈迦如来及四天王像(現存せず)の造立に携わったことが記録(『長瀧寺真鑑』ほか)により知られ、それらの像を彼らとともに造った慶誉という仏師が弘安四年(一二八一)の長谷寺本尊像の再興に慶派正系の湛康、慶秀らとともに参加していることからすれば、定運らもまた慶派に属する仏師とみてよいであろう。像底を上げ底式に刳り残す構造にもこの派の特徴がうかがえる。 その作風は鎌倉時代盛期を過ぎたこの時代の遺品らしくやや弛緩した感も否めないが、肉付きのよい体躯の象形や太い衣文線には運慶風の名残りが認められ、当代慶派の基準作例として推賞することができよう。 ことに注目されるのは、頭体とも前半材では金箔、後半材では銀箔をそれぞれ内刳面に押す像内の仕上げ法である。像内漆箔は院政期に始まり、鎌倉時代にもしばしば行われた手法であるが、本像と同様の例は知られていない。当代の像内荘厳のありようを考えるうえで貴重な事例といえよう。また像内より口腔を穿って口唇のわずかな隙間に貫通させる仕口も特徴的で、密教の観想法との関連が想像される一方、この時代に造られるようになったいわゆる歯吹阿弥陀像などにも通じるところがある。 銘文は像内漆箔面のほぼ全面にわたり朱書され、造像関係者や各種偈文、諸尊種子などが記される。宝満寺は文永三年(一二六六)に無本覚心(法燈国師)により禅刹に改められたと伝えられるが、和歌山・興国寺法燈国師像(重文)がやはり像内頭部の前面を金箔、後面を銀箔押とし、そこに朱書銘を記すことが注目される。真言密教にも深い造詣を有した覚心が本像の製作に関与していた可能性は十分考えられよう。 附指定の四点はいずれも像内より取り出されたと伝えられる。金剛界大日如来の小像は台座底面の輪郭が、本体の像内胸部に設えられた蓮台の上面にある痕跡と一致する。舎利注文は八人の交名とそれぞれの喜捨した舎利の粒数が記される。また般若理趣経・金剛界礼懺は本像の大勧進として銘文に記される吽日が弘安三年(一二八〇)に書写したものである。いずれも本像の関連資料として逸することのできない品々である。
関連情報
附指定
一、木造大日如来坐像
一、舎利
一、舎利注文
一、般若理趣経・金剛界礼懺
関連情報
附指定
附名称
:
一、木造大日如来坐像
附員数
:
一躯
附ト書
:
関連情報
附指定
附名称
:
一、舎利
附員数
:
一包
附ト書
:
関連情報
附指定
附名称
:
一、舎利注文
附員数
:
一通
附ト書
:
関連情報
附指定
附名称
:
一、般若理趣経・金剛界礼懺
附員数
:
一帖
附ト書
:
弘安三年六月、吽日の書写奥書がある