国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
越後姫川谷のボッカ運搬用具コレクション
ふりがな
:
えちごひめかわだにのぼっかうんぱんようぐこれくしょん
越後姫川谷のボッカ運搬用具コレクション
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員数
:
706点
種別
:
交通・運輸・通信に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00215
指定年月日
:
2004.02.06(平成16.02.06)
追加年月日
:
指定基準1
:
(三)交通、運輸、通信に用いられるもの 例えば、運搬具、舟車、飛脚用具、関所等
指定基準2
:
(四)交易に用いられるもの 例えば、計算具、計量具、看板、鑑札、店舗等
指定基準3
:
(三)地域的特色を示すもの
所在都道府県
:
新潟県
所在地
:
糸魚川市山口552
保管施設の名称
:
塩の道資料館
所有者名
:
塩の道資料保存会
管理団体・管理責任者名
:
越後姫川谷のボッカ運搬用具コレクション
解説文:
詳細解説
この資料は、塩の道として全国的にもよく知られた姫川沿いの旧松本街道で塩などの海産物の運搬を生業としたボッカが使用した用具類である。ボッカとは荷を背負って運搬する方法を指す言葉であり、また運搬に従事する人を指していう言葉でもある。
この地域のボッカは、糸魚川から長野県の大町、松本へ日本海の塩や海産物などの運搬にあたったが、通年でボッカをする常ボッカと、農閑期と冬のみボッカをする並ボッカがあり、いずれも生活を支える大きな現金収入であった。
この資料は、背負運搬用具、牛方運搬用具、携行用具、衣類、その他に分類され、それらに関する用具類が網羅的に整理収集されている。例えば、背負運搬用具には、荷を付ける用具であるショイコと小休止にショイコを支えたり、道をならしたりするのに使ったニヅンボウなどに特色があり、ボッカは、これらの用具を使って一度に約25貫(約94㎏)もの塩や海産物を背負うことができた。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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越後姫川谷のボッカ運搬用具コレクション
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越後姫川谷のボッカ運搬用具コレクション
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解説文
この資料は、塩の道として全国的にもよく知られた姫川沿いの旧松本街道で塩などの海産物の運搬を生業としたボッカが使用した用具類である。ボッカとは荷を背負って運搬する方法を指す言葉であり、また運搬に従事する人を指していう言葉でもある。 この地域のボッカは、糸魚川から長野県の大町、松本へ日本海の塩や海産物などの運搬にあたったが、通年でボッカをする常ボッカと、農閑期と冬のみボッカをする並ボッカがあり、いずれも生活を支える大きな現金収入であった。 この資料は、背負運搬用具、牛方運搬用具、携行用具、衣類、その他に分類され、それらに関する用具類が網羅的に整理収集されている。例えば、背負運搬用具には、荷を付ける用具であるショイコと小休止にショイコを支えたり、道をならしたりするのに使ったニヅンボウなどに特色があり、ボッカは、これらの用具を使って一度に約25貫(約94㎏)もの塩や海産物を背負うことができた。
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詳細解説
この資料は、新潟県の西南端、富山県との境に位置する糸魚川市の西端を流れる姫川に沿った旧松本街道で用いられたボッカの運搬用具のコレクションである。 ボッカとは荷を背負って運搬する方法を指す言葉であり、また運搬に従事する人を指していう言葉でもある。 糸魚川市は、西側の日本海に面した地域から東側の急峻な山に連なる地域まで変化に富んだ地形を有しており、旧松本街道はこの急峻な山並みを越えて信州へ通じる道であるため勾配の険しい山道で、特に冬の積雪期の荷の運搬は人の背に頼らざるを得なかった。 この地域のボッカは、糸魚川市内では姫川谷に所在する根知、小滝、西海、大野の人々が主に従事し、糸魚川から長野県の大町、松本へ日本海の塩や海産物などの運搬にあたった。この地域では男女ともに多くの人がボッカをしており、その中には通年でボッカをする常ボッカと、農閑期と冬のみボッカをする並ボッカがあった。 常ボッカは夏場には牛を使って荷物を運搬する牛方として活動し、一人で牛を二頭追うと同時に自分も荷を背負って運搬にあたった。冬季の雪の多い季節になると牛が使えなくなり、人の背で荷を運んだ。冬季のボッカは一人で出かけることはなく、10人前後の集団で出かけた。ボッカによる賃稼ぎは地域の人々にとって生活を支える大きな現金収入であった。 この地域におけるボッカの活動は、江戸時代には糸魚川の町にあって信州との荷のやり取りを管理した信州の問屋のもとで信州稼ぎとして盛んに行われたが、明治25年(1892)に現在の国道148号線が開通したことにより、これを利用する馬車、荷車への輸送手段の移行がすすみ、信州稼ぎの常ボッカは急速に衰えた。しかしながら、並ボッカは、その後も積雪期の物資運搬の担い手としての活動を続け、昭和32年の大糸線全線開通とともに活動がほぼ終わった。その後は、近在の温泉場への物資の運搬のみが行われていたが、これも道路の整備とともに昭和40年代後半には終わった。 この資料は、背負運搬用具、牛方運搬用具、携行用具、衣類、その他に分類されており、いずれも根知地区の青年団が中心となって昭和48年から収集した約1000点の資料から精選したものである。この地域では、ボッカとして活躍した人々の歴史を明らかにし、ボッカの運搬用具を後世に保存、活用することを目的に、資料の整理作業が平成10年~12年にかけて実施され、平成13年3月には『姫川谷のボッカ習俗資料―塩の道資料館収集資料調査報告書―』と題する報告書も糸魚川市教育委員会から発行された。 背負運搬用具には、荷を付ける用具であるショイコと小休止にショイコを支えたり、道をならしたりするのに使ったニヅンボウなどがある。この地域のボッカが使用したショイコは、標高差の大きい険しい山道を歩くことから、他地域のボッカが使用したものに比べて小型で軽量であるという特色をもつ。また、ニヅンボウの上部のカンヅカあるいはカサとかニウケと呼ばれる横木には溝が彫られ、ここでショイコの下桟を受けて下ろさずに休むことができるようになっている。これらの用具を使って一度に約25貫(約94㎏)の塩や海産物を背負って信州まで運んだ。 また、運搬補助用具として、ショイコを背負うときに肩や背中、腕を保護するために着用した綿入れや藁製のセナコウチと呼ばれる用具がある。運搬容器として塩を入れて運んだ俵やカマスなどもある。 牛方運搬用具には、牛の背に付けたニヅケグラ、荷を付けるときにニヅケグラが傾かないように支えたツクボウ、そして荷をニヅケグラに固定するために用いたニヅケナワなどがある。 また、運搬補助用具には、ニヅケナワを固定するカギ、荷がずれないようにシリガイの長さを調節するために用いたバチボウ、牛にはかせたガニと呼ばれる草鞋を交換するときに用いたガニノヒモキリなどがある。このほか、荷を入れた俵やカマス、スミスゴ、牛の装具として用いられたハナギなども含まれている。 携行用具はボッカ・牛方が携行した用具類で、矢立等の筆記具やハヤミチと呼ばれる弁当入れ、また薬を入れた薬籠や喫煙用具のズンギリなどがある。このほか、道を補修したり、雪中橋を架ける時に使用されたテノコ、コシナタなどの用具類も含まれている。 衣類は、サンマイガサなどの被り物、ミジカなどの仕事着、ハバキ類、草鞋やショボケなどの履き物類、藁蓑、シナ蓑などの雨具・防寒具などである。 中でもミジカと呼ばれる仕事着は、男女ともに着用され、ヒトエ、アワセ、ワタイレと季節に応じた使い分けがあり、ウマノリと呼ばれる脇開きのあるなしによって男女別となっている。 ハバキや蓑は、ガマ、シナ、ワラ、スゲなど多様な材料を利用して作られており、それらが体系的に収集されている重要なコレクションとなっている。