国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
志摩半島の生産用具 附 真珠養殖関連資料
ふりがな
:
しまはんとうのせいさんようぐ つけたり しんじゅようしょくかんれんしりょう
生産用具
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員数
:
2,892点 附127点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
275
指定年月日
:
2026.03.24(令和8.03.24)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
三重県
所在地
:
三重県志摩市
保管施設の名称
:
志摩市歴史民俗資料館・迫塩収蔵庫
所有者名
:
志摩市
管理団体・管理責任者名
:
生産用具
解説文:
詳細解説
志摩半島の生産用具は、三重県中東部の志摩半島において、漁撈や農耕、山樵、養蚕、養蜂などの生業に使用された用具と、船大工や鍛冶屋、桶屋、瓦屋、石工などの諸職が使用した用具から構成される。本収集は、昭和55年の志摩民俗資料館の開館に向けて、民俗学者の宮本常一を所長とする日本観光文化研究所が調査・収集した民具資料を基に、志摩市が旧志摩郡の各町域にあった資料を統合し、一つの資料群として分類・整理したものである。生産用具は、旧志摩国の領域に相当する現在の志摩半島全域から収集されており、その製作・使用年代は、明治時代から昭和30年代が中心となる。
また、本件には、昭和30年に英虞湾の賢島に建設され、日本の真珠養殖の発展に寄与した旧国立真珠研究所の標本類や母貝の施術器具などを附として含めている。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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生産用具
附 真珠養殖関連資料
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解説文
志摩半島の生産用具は、三重県中東部の志摩半島において、漁撈や農耕、山樵、養蚕、養蜂などの生業に使用された用具と、船大工や鍛冶屋、桶屋、瓦屋、石工などの諸職が使用した用具から構成される。本収集は、昭和55年の志摩民俗資料館の開館に向けて、民俗学者の宮本常一を所長とする日本観光文化研究所が調査・収集した民具資料を基に、志摩市が旧志摩郡の各町域にあった資料を統合し、一つの資料群として分類・整理したものである。生産用具は、旧志摩国の領域に相当する現在の志摩半島全域から収集されており、その製作・使用年代は、明治時代から昭和30年代が中心となる。 また、本件には、昭和30年に英虞湾の賢島に建設され、日本の真珠養殖の発展に寄与した旧国立真珠研究所の標本類や母貝の施術器具などを附として含めている。
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詳細解説
志摩半島の生産用具は、三重県の中東部に位置する志摩半島において、漁撈や農耕などの生業に使用された用具と、船大工や鍛冶屋などの諸職が使用した用具を広域的に収集し、分類・整理した資料群である。 志摩半島は、紀伊半島の東端、太平洋に突き出た台形状の半島である。北は伊勢湾、南は熊野灘に面し、先志摩と呼ばれる東南部の沿岸地域は、小さな半島が分岐し、岬と入り江の多いリアス海岸を形成している。一方、内陸部は、半島最高峰の朝熊ヶ岳を中心とする北部の山地と隆起海食台地である南部の先志摩台地によって大部分が占められ、低地は少ない。 志摩半島は、旧志摩国の領域にほぼ相当し、志摩国が御食国の一つとして海産物を朝廷に献上していたことが知られているように、古くから海の幸に恵まれてきた。昭和21年(1946)に半島一帯が伊勢志摩国立公園に指定され、伊勢志摩スカイラインや近鉄鳥羽線・志摩線の開通など交通網が整備されると、鳥羽や賢島を拠点として観光開発が急速に進むが、それ以前は、沿岸での漁業を中心とする生業を営んできた地域であった。 本収集は、昭和55年に近鉄興業株式会社が阿児町の鵜方駅前に開設した志摩民俗資料館旧蔵の民具資料を母体とする。それら民具資料の調査・収集は、民俗学者の宮本常一を所長とする日本観光文化研究所に委託され、旧志摩郡の阿児町と磯部町、志摩町、大王町、浜島町の5町と鳥羽市を対象に行われた。その後、志摩民俗資料館は、平成10年(1998)に閉館するが、収蔵資料は阿児町に寄贈された。この資料を基礎とし、志摩市が平成16年の合併による同市の成立を契機に前記の各町が集め、市域に分散していた他の民具資料を統合し、一つの資料群として分類、整理を進めてきたものが本収集である。その内容は、日々の暮らしを支えてきた地域の生業に関わる用具と、生業と関わりをもつ様々な技術を身に付けた職人たちの用具から構成される。製作・使用年代は、明治時代から昭和30年代が中心で、漁撈用具などの一部には、近世後期に遡るものも含まれる。 漁撈用具は、黒潮が流れる熊野灘に面した表海で行われていた、海女漁やカツオの一本釣り漁、磯での貝類や海藻類の採取、筒状の筌を用いたウツボ漁、エビの刺網漁、延縄式のタコツボ漁、英虞湾や的矢湾などの穏やかな内海で行われていた、ボラやコノシロの楯切網漁やナマコの桁網漁、チョッポリと呼ばれる籠を用いた伏籠漁、真珠や海苔、カキの養殖などの用具が主なものである。当地の漁撈を特徴づける海女漁は、アワビやサザエなどを岩礁において素潜りで採るもので、答志や国崎、安乗、和具などの沿岸地域で盛んに行われ、白い木綿の磯着や磯桶、磯ノミなど、昭和30年代にゴム製のウエットスーツが登場する以前の用具が収集されている。養殖については、真珠は明治時代中期に英虞湾で始まり、当地を代表する産業として発展し、海苔やカキは、伊雑ノ浦や的矢湾などで昭和20年代から30年代に始まり、カキは真珠養殖筏を利用して生産され、的矢カキの名称で全国的に知られた。養殖の用具には、海中に設置した各種のアミやカゴ、ガラス製の浮きのビン玉、水温計などがある。また、海産物加工の用具として、鰹節や「きんこ」と呼ばれる干しナマコの製造に使われた用具がある。なかでも鰹節の製造は、古くから行われ、春から夏にかけて熊野灘を北上する近海のカツオを材料とし、大王町の波切や阿児町の志島などで盛んであった。鰹節の整形に用いたフシケズリデバやカビツケ箱、セイロなどが収集されている。 農耕用具は、半島内の少ない可耕地で自給的に行われていた稲作や畑作の用具である。農耕は、半島各地の漁村でも行われており、平地や用水の制約から水田耕作は限定的で、畑作が中心であった。稲作は、狭い谷筋に作られた棚田などの小さい田で営まれ、湿田も多く、人力による耕作が主流であったが、阿児町の国府や内陸部の多い磯部町などの農村地帯では田の面積も広く、牛耕も行われていた。畑作は、半島南部の平坦な台地上で主に営まれ、麦や粟、大豆、茶、サツマイモなどが栽培されていた。このような農耕に使用された、田畑の耕起から収穫、脱穀・調整までの一連の用具が収集されている。とくに田畑の耕作には、鍬類が多く使用され、キグワやトグワ、ミツデなど各種の形状の鍬がみられる。また、農閑期には、山樵や養蚕、養蜂も副業として行われていた。山樵は、自家用の薪の確保だけでなく、諸職が使う材木や海産物加工の燃料となる割木などを供給する山仕事で、樹木の伐採や製材に使われた各種の用具がある。養蚕は、志摩半島でも明治時代以降、現金収入の手段として盛んに行われ、掃き立てから収繭までの一連の用具が揃っている。また、農耕の合間には、山間地のトチノキやレンゲの花を蜜源とする養蜂も行われており、巣箱や燻煙器、蜜絞り器などの用具が収集されている。 諸職用具は、船大工や家大工、鍛冶屋、桶屋、瓦屋、石工などの諸職が使用した用具である。志摩半島では、船や漁具、農具などの製作・修理を専業とする職人も多く、英虞湾に面した地域では、瓦の材料となる粘土が豊富に得られたことから瓦屋がみられ、船便の良い立地を活かして半島内の各方面にも出荷していた。また、大王町の波切では、良質の石材が産出され、各地の築港や河川工事の石積みに活躍した石工集団もいた。このような様々な職人たちがその職能を活かし、使用していた用具がそれぞれ一式収集されている。 なお、本収集には、昭和30年に英虞湾にある賢島に建設され、日本の真珠養殖の発展に寄与した旧国立真珠研究所の資料を附として含めている。同研究所は、昭和54年に閉鎖され、研究資料の一部は、志摩市に保管されている。附は、そのうちの真珠養殖に関わる標本類や母貝の施術器具、工芸品見本などで、近代以後の志摩の産業の展開を考える上で注目される資料群である。