国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
金屋の十三塚
ふりがな
:
かなやのじゅうさんづか
金屋の十三塚
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員数
:
13基
種別
:
信仰に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00167
指定年月日
:
1986.03.31(昭和61.03.31)
追加年月日
:
指定基準1
:
(六)信仰に用いられるもの 例えば、祭祀(し)具、法会具、奉納物、偶像類、呪(じゆ)術用具、社祠(し)等
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県
:
兵庫県
所在地
:
丹波市山南町金屋23番地のうち実測1,208.8㎡
保管施設の名称
:
所有者名
:
丹波市
管理団体・管理責任者名
:
金屋の十三塚
解説文:
詳細解説
十三塚とは、十三の列塚に対し命名されたもので、13基の土盛からなる。築造の理由・時期については、十三仏信仰にともない築造されたとする説が有力である。十三仏信仰の成立は、室町時代の15世紀初とみられ、十三塚の築造もこの流れに位置づけられる。
金屋の十三塚は、鎌倉・室町時代に栄えた石龕寺の参道左手に接する。13基が南北一列に築造され、平面方形の小さな列塚12基と中央の大きな親塚1基からなる。この十三塚は、割石を積んで塚とした点で特徴的である。また、南から数えて八号塚に一石五輪塔があり、保存が完好で、様式から室町後期のものとみられ、十三塚の築造時期を考えるうえで示唆的である。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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金屋の十三塚
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金屋の十三塚
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解説文
十三塚とは、十三の列塚に対し命名されたもので、13基の土盛からなる。築造の理由・時期については、十三仏信仰にともない築造されたとする説が有力である。十三仏信仰の成立は、室町時代の15世紀初とみられ、十三塚の築造もこの流れに位置づけられる。 金屋の十三塚は、鎌倉・室町時代に栄えた石龕寺の参道左手に接する。13基が南北一列に築造され、平面方形の小さな列塚12基と中央の大きな親塚1基からなる。この十三塚は、割石を積んで塚とした点で特徴的である。また、南から数えて八号塚に一石五輪塔があり、保存が完好で、様式から室町後期のものとみられ、十三塚の築造時期を考えるうえで示唆的である。
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詳細解説
我が国の各地には塚に対して特別の信仰を寄せる習俗がみられる。十三塚もその一つで、13基の塚が並んでいるものに対して命名されたものである。明治末年に民俗学者、柳田国男は「十三塚」の研究に先鞭をつけ、後に著書『十三塚考』を著わした。それ以来、十三塚は民俗学の主要な研究のテーマの一つであった。 全国各地に所在する十三塚の数は、200~300か所にのぼるとされていたが、開墾や土木工事によって破壊されたものも多く、その残存状況は近年まで不確定であった。 昭和57・58年度に神奈川大学日本常民文化研究所が全国の十三塚の現況調査を行ったところ、完存するものは10数か所に過ぎず、それらも今後の保存には憂慮すべきものがあると提言されている。 十三塚とは、13基の列塚に対して命名されたもので、13基の土盛の塚(稀に積石塚もある)からなる。低く小さい列塚のうち中央の塚が一段と大きく築造されている型式が多く、13人の武将や非業の死をとげた者を葬ったとする伝説を伴うものが多いが、築造の理由や時期については論議が交わされてきた。供養塚、境界指標、修法壇などの性格が指摘されているが、近年では、その名称を「十三仏塚」とするものもあることから、15~16世紀にかけて成立展開した十三仏信仰にともない築造されたとする説が有力である。 十三仏とは、不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・弥勒・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿閦【あしゆく】・大日・虚空蔵であり、初七日から三十三回忌までの忌日と結びつけて十三仏が配される。宗派的には、禅宗や真言宗で重んじられており、葬送の際には十三仏の掛軸をかけ、十三仏念仏を唱える習俗もある。 十三仏信仰の成立時期は、文献や石造遺物からして室町時代の15世紀初とみられ、16世紀にかけて、特に盛んであった模様である。十三塚の築造もこの十三仏信仰の流れの中に位置づけられるものとみられる。 金屋の十三塚は、兵庫県丹波市(旧氷上郡山南町)の金屋に所在し、鎌倉・室町時代に栄えた岩屋山石龕寺【せきがんじ】への参道左手に接し、13基が南北一列に築造されている。この十三塚には、足利尊氏が京都を落ちて逃れてきたとき、部下13人が追っ手に立ち向かい奮戦の後、自刃し果てたが、尊氏は無事石龕寺へ逃れ、後に13人の部下の冥福を祈って塚を造ったという伝説がある。 この十三塚の規模は、一辺2.1ないし1.5㍍、高さ0.2ないし0.6㍍ほどの平面方形の小さな列塚12基とその中央の一辺3.7㍍×3.8㍍、高さ0.9㍍の親塚1基からなる。親塚は他の12基の列塚と比べてひときわ大きく築造されている。 この十三塚は全国各地にある他の十三塚と比較して塚の規模こそ小さいが、盛土でなく、割石を積んで塚となした点で特徴的である。 この十三塚には南から数えて三号塚と八号塚に小さい一石五輪塔があり、ことに八号塚の塔は、保存が完好で塚の中央に建つ。高さ55.6㎝、石英粗面岩製、水輪が扁球形で、火輪の軒端上端が突出する様式からして、室町時代後期のものとみられ、十三塚の築造時期を示す有力な資料といえる。 金屋の十三塚は、良く原形を保ち、積石塚であるなど類例が少なく、また一石五輪塔が残存して築造時期を室町時代後期と推定できるものとして重要で、庶民信仰の様相を示すものとして貴重である。