国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
江古田の富士塚
ふりがな
:
えこだのふじづか
江古田の富士塚
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1基
種別
:
信仰に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00137
指定年月日
:
1979.05.21(昭和54.05.21)
追加年月日
:
指定基準1
:
(六)信仰に用いられるもの 例えば、祭祀(し)具、法会具、奉納物、偶像類、呪(じゆ)術用具、社祠(し)等
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
練馬区小竹町1丁目59番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
浅間神社
管理団体・管理責任者名
:
江古田の富士塚
解説文:
詳細解説
富士山はわが国の霊山のうち、古来、信仰の対象とされた最も著名な山の一つで、修験道の行者の登拝の歴史も古代にさかのぼる。富士塚は、この富士山を模して築造された塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと、安永9年(1780)高田水稲荷の境内にこれを築いたのが始まりである。庶民の富士山信仰は、江戸中期には盛んになり、この頃から、江戸を中心に富士講が所々に結成され、やがて多くの富士塚が築造されて、現都区内だけでも五十数か所の富士塚を数えるに至った。
江古田の富士塚は、天保10年(1839)に築造されたものとされているが、一説には文化年間(1840~1817)の築造ともいう。高さ約8㍍、直径約30㍍で、関東大震災の際に損壊したものの、その後復旧され、塚全体が富士の熔岩でおおわれている。
頂上に唐破風屋根のついた石祠があるほか、経ケ嶽・太郎坊・小御嶽神社の石碑や、大天狗・小天狗・神猿などの石像もある。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
江古田の富士塚
写真一覧
江古田の富士塚
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
富士山はわが国の霊山のうち、古来、信仰の対象とされた最も著名な山の一つで、修験道の行者の登拝の歴史も古代にさかのぼる。富士塚は、この富士山を模して築造された塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと、安永9年(1780)高田水稲荷の境内にこれを築いたのが始まりである。庶民の富士山信仰は、江戸中期には盛んになり、この頃から、江戸を中心に富士講が所々に結成され、やがて多くの富士塚が築造されて、現都区内だけでも五十数か所の富士塚を数えるに至った。 江古田の富士塚は、天保10年(1839)に築造されたものとされているが、一説には文化年間(1840~1817)の築造ともいう。高さ約8㍍、直径約30㍍で、関東大震災の際に損壊したものの、その後復旧され、塚全体が富士の熔岩でおおわれている。 頂上に唐破風屋根のついた石祠があるほか、経ケ嶽・太郎坊・小御嶽神社の石碑や、大天狗・小天狗・神猿などの石像もある。
詳細解説▶
詳細解説
富士山はわが国の霊山のうち、古来、信仰の対象とされた最も著名な山の一つで、修験道の行者の登拝の歴史も古代にさかのぼる。富士塚は、富士山を模して築造された塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと、安永9年(1780)高田水稲荷の境内にこれを築いたのが始まりである。 庶民の富士山信仰は江戸中期にはかなり盛んになり、この頃から、江戸を中心に富士講が所々に結成され、やがて多くの富士塚が築造されて、現都区内だけでも五十数か所の富士塚を数えるに至った。しかし、近時の社会の変貌にともない、その大半が消滅・損壊され、原形をよく保つ富士塚は少なくなった。 これらの富士塚では、富士山の場合と同様に、かつては旧6月1日、今日では7月1日が富士塚のお山開きで前夜から祭りが行われ当日は富士講徒による七富士参りが行われたが、現在は講も少なくなり、行事も衰退しているところが多い。 江古田の富士塚は、富士講の一派小竹丸祓講によって天保10年(1839)に築造されたものとされているが、一説には文化年間(1840~1817)の築造ともいう。高さ約8㍍、直径約30㍍で、関東大震災の際に損壊したものの、その後復旧され、塚全体が富士の熔岩でおおわれている。 頂上の唐破風屋根のついた石祠は、天保10年に造立されたもので、他に経ケ嶽・太郎坊・小御嶽神社の石碑や、大天狗・小天狗・神猿などの石像もあり、元治2年(1865)の講碑、大正12年震災時の御神体修築の碑なども建っている。現在の社殿の前には文化4年(1807)の石燈籠や文化9年(1812)の手水鉢なども残っており、このことから文化年間築造説も一概に無視できない。なお、社殿の中には弘化2年(1845)のおたきあげの灰炉など富士講の祭具も残っている。 この富士塚は、都区内の富士塚の中では、大規模な部類に属し、庶民信仰の様相を示すものとして重要である。