国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
桑名石取祭の祭車行事
ふりがな
:
くわないしどりまつりのさいしゃぎょうじ
桑名石取祭の祭車行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月第一日曜日とその前日の土曜日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
422
指定年月日
:
2007.03.07(平成19.03.07)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
三重県
所在地
:
保護団体名
:
桑名石取祭保存会
桑名石取祭の祭車行事
解説文:
詳細解説
桑名石取祭の祭車行事は、桑名市中心部に鎮座する旧城下町桑名の総鎮守である桑名宗社に対して行われる行事で、氏子町内から祭車と呼ばれる車が出され、鉦、太鼓で激しく囃しながら曳き回される。行事は、本来夏の禊ぎ祓いの意味を持ち、清らかな石をとって祭地を浄めるもので、これが祭礼化したものである。現在は氏子の各町内が11の組に分かれて参加する。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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桑名石取祭の祭車行事
桑名石取祭の祭車行事
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桑名石取祭の祭車行事
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桑名石取祭の祭車行事
解説文
桑名石取祭の祭車行事は、桑名市中心部に鎮座する旧城下町桑名の総鎮守である桑名宗社に対して行われる行事で、氏子町内から祭車と呼ばれる車が出され、鉦、太鼓で激しく囃しながら曳き回される。行事は、本来夏の禊ぎ祓いの意味を持ち、清らかな石をとって祭地を浄めるもので、これが祭礼化したものである。現在は氏子の各町内が11の組に分かれて参加する。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
桑名石取祭の祭車行事は、桑名市中心部に鎮座する旧城下町桑名の総鎮守である桑名宗社に対して行われる行事で、氏子町内から祭車と呼ばれる車が出され、鉦、太鼓で激しく囃しながら曳き回される。 この行事は、本来夏の禊ぎ祓いの意味を持ち、清らかな石をとって祭地を浄める祭りで、現在は氏子の各町内が11の組に分かれて参加する。桑名宗社は、桑名神社と中臣神社の2社からなり通称春日神社と称される。この桑名宗社の氏子の町内には元々春日神社の氏子であった本氏子と石取祭に参加するため春日神社の氏子になったといわれる準氏子がある。 桑名市は三重県北東部に位置し愛知県と境を接する。江戸時代には桑名藩の城下町であり、東海道の宿場町でもあった。木曽川、揖斐川、長良川が合流する河口の、尾張から海上7里を渡った所に位置し、伊勢参詣の出発点としても賑わいを見せた。 この祭の初見史料は『慶長自記』で、その慶長18(1613)年の条に「七月十七日石取アリ」と見える。このことからすでにこの時期に石取の行事があったことが窺えるが、祭礼ではなく石を取る行事のみであったといわれている。この『慶長自記』に見える行事が祭礼化したのが現在の石取祭である。 期日は、現在8月の第一日曜日に行われているが、江戸時代初めには7月17日、江戸時代後期には7月7日、その後大正9年からは7月12日、昭和33年からは8月7日、そして昭和46年からは現在の祭日になった。 石取祭は基本的には町と呼ばれる自治会単位で祭車を所有して行事に参加するが、複数の自治会が連合した組織で参加している例もあり、その単位は一様ではない。 それぞれの町内には自治会の役職の他に祭りを担当する役員として祭事長、副祭事長がおかれ、青年会、中老会、少年会といった組織が作られている。青年会は15、6才で加入し35~40才で脱退する。中老会は青年会を脱退した者が加わり50才ぐらいで脱退するとする町内が多い。少年会は中学生までの子どもが加入する組織である。祭りの運営にあたっては青年会が中心になり中老会は指導的役割を担っている。また、祭りの際に祭車を実際に動かすのは、町内の人ではなく、ネトリ又はネドリと呼ばれる桑名の町の周辺の農村部の人達である。 この行事は、6月第一日曜日に行われる御籤占式から始まる。これは本楽での祭車の渡祭の順番を決める行事で、神職、神社役員、各町内の祭事長、青年連盟の会長、副会長が参加して春日神社拝殿で行われる。各町内の祭事長が籤を引き渡祭の順が決まる。特に一番の祭車を花車、最後を末番ともいう。 その後7月第三月曜日には、神社役員、各町の祭事長で構成される祭事長会議の議長、副議長、青年連盟の会長、副会長が参加して川原祓式が町屋川で行われる。この時には参加者が石を入れた献石俵を春日神社と青年連盟の分2俵ずつ作り、春日神社に運んで桑名神社と中臣神社にそれぞれ奉納する。この献石俵は石取祭が終わるまで供えられ、祭り終了後は中から石が取り出されて、拝殿前に撒かれる。 8月第一日曜日には本楽と呼ばれる行事が行われる。その前日の土曜日を試楽といい、試楽前日の夕方から祭車が曳き出され祭りの準備が始まる。 試楽の深夜0時には春日神社で鉦鼓打始式が行われ、太鼓の音を合図に青年連盟会長が赤提灯を振ると、組単位に集まった祭車が鉦鼓を叩き始める。これを叩き出しといい、その後祭車がそれぞれの組内を曳行する。 朝10時頃から神社では朝御饌祭がはじまる。その前に参加町内は川原祓式後に町屋川で拾った石を入れた献石俵を春日神社拝殿前に奉納する。 夕方になると町練りといって各組単位で祭車が集合し組内の曳き回しを行う。この町練りでは決められた順路を通りながら曳き別れ場所に向かい、ここで曳き別れを行うと、試楽の鉦鼓が停止される午前0時までに町内に引き上げる。 本楽の日は、夜中1時半から春日神社で鉦鼓打始式が行われ、2時には太鼓の音を合図に青年連盟会長が提灯を振って2時の叩き出しが始まる。これがすんで夜が明けると神社役員と青年連盟役員が春日神社に集合し、祭車整列位置と渡祭後定位置の番号札付けを行う。 石取祭に参加する町内は大きく北市場と南市場の2つに分かれており、渡祭の際の祭車の並び方も北市場並びと南市場並びがあり1年交替で並ぶ場所を交替している。 本楽の午後になると、各町内の祭車は、送り込みといって渡祭順に定められている整列位置に向かって移動する。この途中祭車は神社役員が詰めている立宿の前を通り確認を受ける。すべての祭車が整列位置に着くと、午後4時半頃には渡祭準備のため各祭車は整列位置から曳き出され、春日神社に向かう。一番籤を引いた花車と呼ばれる祭車が春日神社手前に着いて停止すると、後ろに続く祭車も順次停止し渡祭に備える。 夕方、春日神社で夕御饌祭が行われると神職と神社役員が楼門前に向かい、春日神社の斎火を提灯に移し渡祭順一番の花車の祭事長・自治会長に引き渡す渡祭始式が行われる。斎火を受け取った花車の祭事長は自分の町内の提灯に移すと次の番の祭車の祭事長に斎火を渡し、以下順々に斎火が渡されて提灯に灯されていく。 花車が渡祭をすると、順番にしたがって各祭車が渡祭をしていく。渡祭は各祭車が神職と神社役員の待つ楼門前に進み番号札を神職に渡してお祓いを受けて退出するもので、神社役員の振る提灯の合図で楼門前に進み、同じく提灯の合図で退出する。 渡祭が終了した祭車は、すべての祭車の渡祭が終了するまで定められた渡祭後定位置まで進んで待機し、花車から順番に定められた場所で曳き別れを行い各組の帰路待ち合わせ場所に向かって待機する。組の全祭車が揃うと各組に向かって帰路につき、それぞれ適当な場所で曳き別れを行い町内に戻っていく。 わが国に数多く見られる山・鉾・屋台は神霊の依るダシを賑やかな行列で鎮め送ることを本来の目的にしたものといわれている。そのダシが美的建造物になるところに成立したのが山や鉾であり、それを囃す行為とともに造形化されたのが各種の屋台である。この行事は、採取した石を氏神に奉納することを目的に成立した行事で、石取という行事から祭礼へ展開したものとして注目される。我が国における山・鉾・屋台の祭の成立過程においてこの行事は特色ある展開過程をとったものとしてその変遷過程を知る上で重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)