国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
地福のトイトイ
ふりがな
:
じふくのトイトイ
地福のトイトイ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年1月14日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
指定証書番号
:
464
指定年月日
:
2012.03.08(平成24.03.08)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
山口県
所在地
:
保護団体名
:
地福といとい保存会
地福のトイトイ
解説文:
詳細解説
本件は、1月14日夜、子どもたちが集落の家々を1軒ずつまわり、持参したワラウマ(藁馬)と供物とを交換し、家内安全や無病息災、五穀豊穣などを祈願する小正月の訪問者の行事である。子どもたちは、訪問先の家の前にくると、ワラウマを笊に入れて玄関先に置き、「とい、とーい」と大声で叫び物陰に隠れる。家人がでてきてワラウマを受け取り、代わりに餅や菓子などを笊に入れると、子どもたちは家人に見つからないようにそれを持ち去る。このとき、家人が子どもたちに水を浴びせようとすることもある。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
地福のトイトイ
地福のトイトイ
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地福のトイトイ
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地福のトイトイ
解説文
本件は、1月14日夜、子どもたちが集落の家々を1軒ずつまわり、持参したワラウマ(藁馬)と供物とを交換し、家内安全や無病息災、五穀豊穣などを祈願する小正月の訪問者の行事である。子どもたちは、訪問先の家の前にくると、ワラウマを笊に入れて玄関先に置き、「とい、とーい」と大声で叫び物陰に隠れる。家人がでてきてワラウマを受け取り、代わりに餅や菓子などを笊に入れると、子どもたちは家人に見つからないようにそれを持ち去る。このとき、家人が子どもたちに水を浴びせようとすることもある。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
地福のトイトイは、子どもたちが集落の家々をワラウマ(藁馬)をもって一軒ずつまわって供物と交換し、家内安全や無病息災、五穀豊穣などを祈願する小正月の訪問者の行事で、山口県の北部、中国山地の西端に位置する旧阿武郡阿東町の地福地区に伝承されてきたものである。 この行事の起源については、地元にも伝承がなく定かではない。ただ、天保13(1842)年頃に長州藩が編纂したといわれる『風土注進案』には、例えば、「切畑村」の項に「同十五日宵とひと申、膳又は折敷等へ銭差又は藁ニて馬船等を拵へ松竹を添持来り、障子の内に入置候得ハ其膳え代りに餅を置候、取に来り候時水を懸候て戯候事」という記述がみられるように、この種の行事が1月15日頃に行われる行事として「とひ」「とへい」「とへとへ」などの名称でいくつか記述されており、少なくとも江戸時代には山口県内でこの種の小正月行事が行われていたことがわかる。 地福地区は、中国山地の西端に位置する標高300mほどの高原地帯に位置する。古くから稲作が盛んであり、現在でも山口県内有数の稲作地帯の一つとなっている。気候は、夏は涼しく冬は寒さの厳しい高原性の気候で、行事の実施される1月には積雪が多いときは50㎝近くに達することもある。 この行事は、現在、地福地区の市、岡、用路、山田、桜乃里、葉ツ久などのいくつかの集落で、集落をいくつかに分けて、あるいは集落を単位として、小学1年生から中学3年生までの男女がいっしょに行事を行っている。ただし、厳しい禁忌や年齢階梯的な役割などはなく、不幸のあった家の子どもも参加できるほか、幼稚園の子どもが参加することもある。かつては、各集落の子どもたちが気のあった友達どうしで誘い合って行事を行っており、子どもに混じって20歳前後の若者が参加することもあった。 子どもたちは、まず行事の前の適当な日に、各家に渡すためのワラウマを製作する。ワラウマは、頭から尾までの長さが20~30㎝ほどのもので、単にウマ(馬)と呼ばれることもある。子どもたちは、それぞれの集落の公民館などに集まって、大人たちの指導を受けながら自分たちで製作する。ワラウマは、各家に1頭ずつ渡されるため、一人が平均3頭程度を製作しなければならない。 行事は毎年1月14日夜に行われる。戦前までは旧暦1月14日であったが、戦後からは新暦で行うようになっている。 例えば、市という集落の行事をみると、午後6時半頃に地福市公民館に子どもたちが集合する。市は69戸と比較的戸数が多いため、3つの班に分かれて訪問する。子どもたちは、訪問先の家の前にくると、藁馬を笊のなかに入れて玄関先に置き、玄関の戸を10㎝ほどそっと開けてから、全員で「とい、とーい」と大声で叫ぶ。そして玄関の戸を閉めて急いで物陰などに隠れる。しばらくすると、家人が玄関先に出てきて、笊とワラウマを持っていったん家の中に入る。そして、今度は笊に餅やみかん、菓子、お金などを供物として入れて玄関先に置き、また何事もなかったかのように玄関の戸を閉めて家の中に入る。すると隠れていた子どもたちは家人に見つからないように笊と供物をそっともらって立ち去る。 このとき、家によっては玄関に水を入れたバケツや桶を用意しておいて、再び玄関の戸を開けて、子どもたちに柄杓で水を浴びせようとすることもある。この水を浴びると、良くないことが起こる、病気になる、縁起が悪いなどといって、子どもたちは必死で逃げまわりながら、供物を取ろうとする。 なお、訪問する家については、1年以内に不幸のあった家はできるだけ避けるようにしている。一方で、新婚夫婦のある家や新築の家、旧家などには比較的大きなワラウマや形の良いワラウマを意識的に渡そうとすることもある。かつては、こうした家々に対しては、たくさんのワラウマを用意しておいて何度も訪問し、供物をたくさんもらおうとしたともいわれている。 こうして一時間ほどかけて集落の家々を一軒ずつ訪問し、終わると公民館に戻る。そこで、かつては年長者が中心となって供物を分けていたが、現在は大人たちが供物を均等に分け与え、最後に大人たちが用意したお汁粉を食べて解散となる。 ワラウマをもらった家では、このワラウマが福を運び込むものとされていることから、神棚、床の間、玄関などに1年間供えておく。この際には、家に福が舞い込むようにということで、馬の頭を家の内側に向けて供えておく場合が多い。なお、前年より1年間供えられていたワラウマは、翌1月15日に行われているドンド焼きで焼かれる。 なお、地福のトイトイは、昭和40年代の一時期、各家に渡すのがワラウマではなく、ウマの絵や「馬」という漢字を書いた紙になるなど大きく変容したが、その後、地区の公民館などが中心となってワラウマの製作を子どもたちに伝承し、子ども会、さらには保存会を中心とした行事としてトイトイを今日まで伝承してきている。 本件は、年頭にあたって訪問者が福や穀物の豊穣を授けるという行事の1つである。山口県を含む中国地方ではこの種の行事がトイトイ、トロヘイ、トヘトヘなどの名称で広く伝承されていたことが知られており、本件は、中国地方に伝承されてきた小正月の訪問者の行事の典型例の1つであり、我が国の小正月の訪問者の行事の特色や変遷を考える上で重要なものである。また、中国地方では、この種の行事のほとんどが、昭和30~40年代に中断している。そうしたなかで山口県内でも、中断せず今日まで伝承されているのは本件のみであり、類例の少ない貴重な事例でもある。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)