国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
久礼八幡宮の御神穀祭
ふりがな
:
くれはちまんぐうのおみこくさん
御神穀行列
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開期日:毎年旧暦8月13日~8月14日
指定証書番号
:
558
指定年月日
:
2026.03.24(令和8.03.24)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
高知県
所在地
:
高知県高岡郡中土佐町
保護団体名
:
久礼八幡宮御神穀祭伝承会
御神穀行列
解説文:
詳細解説
久礼八幡宮の御神穀祭は、高知県中土佐町にある久礼八幡宮の秋の例祭に行われる神饌奉納の行事で、オミコク(御神穀)と呼ばれる独特の神饌を作って神社に納め、五穀豊穣を祈願する。
オミコクは、160個の丸餅をガマの葉で編んだ菰で包み、弓状に整えたものと炊いた米の2種で、トウヤと呼ばれる当番宅などで用意される。トウヤは、屋敷地などにホウドウと呼ばれる土地を持つ特定の家々が1年交代でつとめる。
例祭前日の深夜、オミコクは、サイキョニンと呼ばれるトウヤの代表によって担ぎ棒で担がれ、御神穀行列と称する行列を組んで、燃え盛る大松明や賑やかな太鼓に伴われながら八幡宮の社殿に運ばれる。オミコクのうちの米飯は、持参した麹と水を加えて混ぜ、一夜酒として奉納され、餅は奉納後、八幡宮境内で参詣者に撒与される。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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御神穀行列
行列の最後につく大松明
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御神穀行列
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行列の最後につく大松明
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解説文
久礼八幡宮の御神穀祭は、高知県中土佐町にある久礼八幡宮の秋の例祭に行われる神饌奉納の行事で、オミコク(御神穀)と呼ばれる独特の神饌を作って神社に納め、五穀豊穣を祈願する。 オミコクは、160個の丸餅をガマの葉で編んだ菰で包み、弓状に整えたものと炊いた米の2種で、トウヤと呼ばれる当番宅などで用意される。トウヤは、屋敷地などにホウドウと呼ばれる土地を持つ特定の家々が1年交代でつとめる。 例祭前日の深夜、オミコクは、サイキョニンと呼ばれるトウヤの代表によって担ぎ棒で担がれ、御神穀行列と称する行列を組んで、燃え盛る大松明や賑やかな太鼓に伴われながら八幡宮の社殿に運ばれる。オミコクのうちの米飯は、持参した麹と水を加えて混ぜ、一夜酒として奉納され、餅は奉納後、八幡宮境内で参詣者に撒与される。
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詳細解説
久礼八幡宮の御神穀祭は、高知県中土佐町久礼にある久礼八幡宮の秋の例祭に行われる行事で、オミコク(御神穀)と呼ばれる独特の神饌を作って八幡宮に納め、五穀豊穣を祈願する。 中土佐町は、高知県の中西部に位置し、東は土佐湾に面し、三方は四国山地の山々に囲まれている。本件が伝承される久礼地区は、古くから海路による流通往来で栄え、カツオ漁を中心とする漁業を基幹産業とするが、山間部では稲作などの農業も行われてきた。 久礼八幡宮は、久礼の市街地の中心部に位置し、海に向かって社殿が鎮座する。祭神は、応神天皇など6神で、創建年代は詳らかではないが、中世に久礼の領主であった佐竹氏が勧請したといわれているほか、正面の浜に流れ着いた御神体を祀ったのが始まりとも伝えられている。 久礼八幡宮の氏子圏は、久礼地区の全域に及んでいる。久礼地区は、郷分、浦分、町分と呼ばれる3つの地域に分かれ、農業を生業とする山側の郷分が、御神穀祭における神饌の奉納の役割を主体的に担う。郷分は、久礼川や大坂谷川の本流と、その支流である道の川、松の川など複数の川筋に沿って点在する集落である。 御神穀祭の成立については詳らかではないが、八幡宮の古い記録である宝永8年(1711)写の『久礼坐正八幡宮御祭行事記』や『八幡宮御社式』には、御神穀祭の内容や次第に関する記述がみえ、近世中期頃の祭りの様相がうかがわれる。御神穀祭の公開期日については、久礼八幡宮の秋季例大祭が行われる旧暦7月末日から旧暦8月16日までの日程のうち、例大祭当日前の旧暦8月13日と14日の2日間に行われる。行事は、久礼八幡宮と地域の氏子が一体となって執り行われてきた。現在は、久礼八幡宮御神穀祭伝承会があり、行事の準備から執行までを担う伝承組織として活動している。オミコクを奉納するのは、トウヤと呼ばれる人々である。トウヤは、屋敷地内に「ホウドウ」と呼ばれる聖なる場所をもつ、集落の草分けともいわれる家々の主人で、1年交代の輪番制で務める。現在は14軒のトウヤがある。その年のトウヤになると、近隣の人々や親戚、知人らに手伝いを依頼し、トウヤの代理人となるサイキョニンやトウニンなどの諸役を決める。サイキョニンは、御神穀祭の準備と進行を取り仕切る総括役で、トウニンは、トウヤと久礼八幡宮との連絡を務める役で、両者とも行事の一切を熟知する人物がその役を務める。 祭りの準備は、旧暦7月末日から始まる。トウヤと手伝いの人々は、ホウドウに神霊の依り代となる標を立てる。この標はホウドウサマとも呼ばれ、竹の先端にホテと呼ばれる麦の藁苞に榊や御幣を刺したものである。竹の根元には祭壇を設け、カワラケやスズメと呼ばれる御幣を立て並べ、蠟燭や神酒などを供えておく。 13日には、オミコクと大小の松明などが作られる。神饌となるオミコクは餠と米飯の2種で、トウヤ宅などで用意される。餠は3升分の丸餠約160個をガマの葉で編んだ菰で細長く包み、その年の月の数の縄で均等に縛り、両端を荒縄で結んで弓状に整えたものである。米飯は2升分を白木の蓋つきの桶に入れたもので、蓋の上には、後に八幡宮へ奉納する一夜酒用の麹が添えられる。オミコクには注連飾りや紙垂などが付き、両天秤棒の前後に結び付けられ、ホウドウの祭壇に供えられる。 また、大松明と小松明は、手伝いの人々が総出で製作をする。大松明は全長約6メートルで、松や竹などの芯に、割竹で重厚に覆って円柱形にして、菰を巻き、荒縄で縛って固定する。荒縄の結び目は12か所で、閏年には13か所になるようにする。大松明の下部には、担ぎ手が持つ丈夫な竹が2本付けられる。小松明は全長約2メートルで、形状は大松明とほぼ同様であるが、12本、閏年には13本を用意する。夕方になると、ホウドウにおいて大松明の種火の準備が行われる。 13日の深夜から14日の明け方にかけて、オミコクを久礼八幡宮へと運ぶ、オミコク行列が行われる。日が改まる頃に、大松明への点火が行われ、その後、オミコク行列がホウドウを出発する。行列の一行が進む道順は、できるだけ旧道が選ばれる。オミコク行列は、行列を整える役目を担う示し役を先頭に、大榊を持つトウヤ、御幣持ち、オミコクを担ぐサイキョニン、トウニン、田植婆さん、賽銭を受けるモロブタ持ち、神酒持ち、神職の順番を基本として八幡宮へ向かう。小松明を持つ人々は、行列を取り囲むように列に加わり、夜道を進む一行の足元を照らす。さらにこの行列の前後には、トウヤ太鼓と称して青年団が大声で掛け声をかけ、太鼓を激しく打ち鳴らす。道中、松明を持った前年のトウヤによる迎え松明と称される一行や迎え太鼓と称して太鼓を携えた他の集落の青年団がオミコク行列を待ち構え、合流する。 その際に迎え太鼓とトウヤ太鼓が、太鼓の面を激しくぶつけ合って競う喧嘩太鼓を行うこともある。少し遅れて燃え盛る大松明が続く。大松明は、大勢の手伝いの人々によって担がれ、火の粉を巻きあげながら、賑やかに進む。オミコクを運ぶあいだ、サイキョニンは一言も話してはならず、また、オミコクを担ぐ肩を変えたり、地面に下ろしたりしてはならないなどの禁忌がある。夜明け前の卯の刻に一行が八幡宮に到着すると、オミコクは火柱を上げる大松明とともに社殿へ担ぎ込まれる。次いで、大松明を持って川へ水を汲みに走る所作だけを行い、再び社殿においてオミコクの米に麹と持参した水を混ぜ、一夜酒と称して奉納する。なお、その後、大松明は担ぎ手によって境内に投げ出され、燃え枝を氏子や参詣者が奪い合い、魔除けとして持ち帰られる。また、奉納されたオミコクの餠は、餠投げと称して境内にて参詣者に撒与され、一夜酒も直会にて振舞われる。