記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
 主情報
名称 鶴崎踊
ふりがな つるさきおどり
鶴崎踊
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種別1 民俗芸能
種別2 風流
その他参考となるべき事項
選択番号 1
選択年月日 1986.12.17(昭和61.12.17)
追加年月日
選択基準1
選択基準2
選択基準3
所在都道府県、地域 大分県
所在地
保護団体名 鶴崎おどり保存会
鶴崎踊
写真一覧
解説文:
 鶴崎踊は、大分市鶴崎の地に古くから伝承されてきた盆の踊りで、この地域一帯に広く流布している盆踊を代表するものである。『大友記』『西国盛衰記』の古記に、大友義鎮【よししげ】(大友宗麟)が、酒色にふけり、傾城傾国のおそれがあるのを憂えた家臣戸次伯耆守鑑連【あきつら】が、京都から呼び下した美しい踊子に「三つ拍子」という踊りを踊らせ、これに興を抱いた義鎮公に諫言してその乱行を止めさせたといわれる記事があり、今日の鶴崎踊の二種の踊りの一つである「左衛門」は古くから「三つ拍子」とも呼ばれているので、その当時からの伝承との関連も考えられている。この鶴崎の地は、肥後五十四万石細川藩主参勤交替時の船着場であり、また、京都、大阪をはじめ瀬戸内海の各地との交易が盛んであった良港でもあったので、早くから中央との文化交流があり、これらが優雅な盆踊を定着させた要因になったとみられている。
 この踊りは、かつて各町の若連中が主催し、盆の前後にそれぞれの町筋の道路に屋台を設けて踊られたが、大正期からは一か所にまとまって盛大に踊られるようになった。享和三年(一八〇三)の脇蘭室『鶴崎夜話』に俄狂言や地芝居などの装いをする者があるが、これは禁止した方がよいと書かれているように、昔から仮装踊の傾向があったのであるが、大正年間に老舗の先代の初盆の供養踊をコンクール形式で行ったところから、この仮装踊が一層盛んとなって今日に至っている。
 踊りの種類には「左衛門」と「猿丸大夫」の二種類がある。「左衛門」は、祭文の転訛とみられる口説音頭による踊りであり、「猿丸太夫」は伊勢踊の系譜につながる踊りとみられている。伴奏は、太鼓、三味線、笛であったが、後に胡弓、尺八が加わった。今日の踊りでは「猿丸太夫」が中心となり「左衛門」は踊りの最後に短く踊られているが、いずれも優雅な振りを伝える盆踊であり、地域的特色のあるものとして記録作成の措置を講じるものである。
関連情報
    (情報の有無)
  添付ファイル なし