国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
生子神社の泣き相撲
ふりがな
:
いきこじんじゃのなきずもう
生子神社の泣き相撲
写真一覧▶
解説表示▶
種別1
:
風俗慣習
種別2
:
人生・儀礼
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年9月19日に近い日曜(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『生子神社の泣き相撲』(鹿沼市教育委員会・昭和52年)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1996.11.28(平成8.11.28)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
栃木県
所在地
:
保護団体名
:
生子神社氏子
生子神社の泣き相撲
解説文:
詳細解説
鹿沼市樅山町の生子神社の秋祭りに奉納される泣き相撲の行事は、成長祈願を目的とする行事である。境内の湧水で身を浄めた力士と行司が、社前の土俵に上がってお祓いを受けた後、行司の呼び出す幼児を抱いた力士が東西から土俵に上がり、行司の軍配を合図にかけ声をかけながら幼児を揺すって、先に泣いたほうを勝ちとする。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
生子神社の泣き相撲
写真一覧
生子神社の泣き相撲
解説文
鹿沼市樅山町の生子神社の秋祭りに奉納される泣き相撲の行事は、成長祈願を目的とする行事である。境内の湧水で身を浄めた力士と行司が、社前の土俵に上がってお祓いを受けた後、行司の呼び出す幼児を抱いた力士が東西から土俵に上がり、行司の軍配を合図にかけ声をかけながら幼児を揺すって、先に泣いたほうを勝ちとする。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
我が国には、子どもの無事成長を祈願するための様々な行事が伝承されている。鹿沼市樅山町の生子神社の秋祭りに奉納される泣き相撲の行事は、こうした成長祈願を目的とする行事の1つである。 生子神社は、瓊々杵命【ににぎのみこと】を祭神とし、古くは樅山明神と称されていたが、病で子どもを亡くした氏子夫婦が樅山明神に子どもの蘇生を祈願し、ミタラセの池で水行を行ったところ、子どもが蘇生したので、「生子」神社の名が生まれたといわれている。 この泣き相撲の起源については明らかではないが、文久年間(1861-64)にはすでに行われていたと伝えられており、明治43年の祭典控には泣き相撲に対する奉納金の記録が残っている。 この行事は、力自慢の氏子の男子が扮する力士と行司とにより行われる。境内のミタラセという湧水で身を浄めた力士と行司が、社前に設けられた土俵に上がってお祓いを受けた後、行司の呼び出す幼児を抱いた力士が東西から土俵に上がり、行司の軍配を合図にかけ声をかけながら幼児を揺すって、先に泣いたほうを勝ちとする。 この行事は、かつては樅山町内の氏子を対象に行っていたが、しだいにその範囲は氏子地域を超えて周辺市町村に及び、現在では広く県の内外から集まるようになっている。これに伴って行事の主催者も昭和40年代半ばから相撲講が組織され、現在では参加者はこれに申し込む形式をとっている。 なお、泣き相撲の行われる土俵の傍らには、大きくなった子どもたち用に仮設の土俵が設けられ、樅山町内の氏子たちによって子ども相撲も主催される。この子ども相撲では勝ち負けをつけない習慣である。 このようにみの行事は、生子神社の名称にちなみ、「泣く子は育つ」という俗信に基づく行事であり、子どもの成長祈願を目的にしたものである。かつては氏子入りの機能も有していたものと考えられるが、時代の変遷とともに信仰範囲が拡大し現在に至ったものと考えられる。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)