国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形文化財
主情報
名称
:
瀬戸丸窯
ふりがな
:
せとまるかま
解説表示▶
種別1
:
工芸技術
種別2
:
陶芸
その他参考となるべき事項
:
指名区分
:
選択年月日
:
1957.03.30(昭和32.03.30)
選択基準1
:
選択基準2
:
選択基準3
:
地域
:
解説文:
瀬戸の丸窯は、江戸末期の文化ごろ加藤民吉が創始したといわれている。江戸末期にはわが国陶磁器の産額が急激に増加するとともに、生産単価の比較的低廉な、大規模な窯が各地に築かれた。瀬戸丸窯はその最大のもので、染付磁器の生産に適し、明治十年にはその数五十基に及び、大正三年には二十基という数字が残っている。昭和になり、石炭窯が使用されるようになってしだいにその数を減じ、特に第二次大戦の影響で大部分は廃窯に帰した。昭和三二年選択当時、加藤庄平(昭和四一年死去)所有の窯一基を残すのみとなった。以後全く使用されていない。
窯の大きさは、長さ四五メートル、巾十五メートル、高さ六・五メートル、六室からなり、焼成時間三百二十時間、これに要する松薪が一万七千束であったという。窯詰めに約一カ月かかり、ゆっくりと長時間かけて焼くことによって、おだやかな焔がまんべんなくゆきわたるきわめてロスの少ない窯である。
関連情報
(情報の有無)
保持者情報(保持者/芸名・雅号)
団体情報
なし
添付ファイル
なし
解説文
瀬戸の丸窯は、江戸末期の文化ごろ加藤民吉が創始したといわれている。江戸末期にはわが国陶磁器の産額が急激に増加するとともに、生産単価の比較的低廉な、大規模な窯が各地に築かれた。瀬戸丸窯はその最大のもので、染付磁器の生産に適し、明治十年にはその数五十基に及び、大正三年には二十基という数字が残っている。昭和になり、石炭窯が使用されるようになってしだいにその数を減じ、特に第二次大戦の影響で大部分は廃窯に帰した。昭和三二年選択当時、加藤庄平(昭和四一年死去)所有の窯一基を残すのみとなった。以後全く使用されていない。 窯の大きさは、長さ四五メートル、巾十五メートル、高さ六・五メートル、六室からなり、焼成時間三百二十時間、これに要する松薪が一万七千束であったという。窯詰めに約一カ月かかり、ゆっくりと長時間かけて焼くことによって、おだやかな焔がまんべんなくゆきわたるきわめてロスの少ない窯である。
関連情報
保持者情報(保持者/芸名・雅号)
加藤庄平
関連情報
保持者情報(保持者/芸名・雅号)
保持者(関係技芸者)の氏名
:
加藤庄平
保持者(関係技芸者)の氏名 ふりがな
:
かとうしょうへい
保持者(関係技芸者)の芸名・雅号等
:
保持者(関係技芸者)の芸名・雅号等 ふりがな
:
認定・指定年月日
:
1957.03.30(昭和32.03.30)
認定区分
:
認定書の交付又は再発行の年月日(選択書の交付年月日)
:
認定書(選択書)の記号番号
: