国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
若桜鬼ヶ城跡
ふりがな
:
わかさおにがじょうあと
虎口石垣
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
中世
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
34
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2008.03.28(平成20.03.28)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
鳥取県
所在地(市区町村)
:
八頭郡若桜町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
虎口石垣
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
虎口石垣
ヤグラ石段
写真一覧
虎口石垣
写真一覧
ヤグラ石段
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詳細解説
若桜鬼ヶ城跡は鳥取県の東南、八頭郡若桜町の宿背後にそびえる鶴尾山(標高452m)に位置する16世紀から17世紀初頭にかけての城跡である。若桜は播磨と但馬への道の分岐点に位置する。駿河国安倍郡矢部村を本貫とする矢部氏が鎌倉時代に入部し、15世紀の後半の史料には「矢部館若狭(桜)」とみえる。鬼ヶ城は16世紀後半の史料に散見され(天正3年〈1575〉初見)、矢部氏が拠っていたことが確認される。鳥取城落城後の天正9年(1581)には木下重堅(荒木平太夫)が入部し、また、関ヶ原の戦い後の慶長5年(1600)には山崎家盛が城主となった。出土遺物も16世紀から17世紀初頭の年代を示し、中世から近世への移行期を中心とする城郭であることが判明している。とくに主郭部は織豊期の山上城郭として、その規模・構造の複雑さにおいて注目される。また、廃城となった際に石垣が壊された状態がそのまま遺存している姿は、一国一城令による破城の実例として価値がある。山陰における国人領主と戦国大名の動向及び近世初期に至る城郭の変遷を知るうえで重要である。